karajanjanの日記

カラヤンについて語りましょう

モーツァルトのディヴェルティメント♪


自分が管楽器をやっていた関係で、弦楽合奏的な曲はあまり聴かないし、CD等を買うこともありませんでした。基本的に今でも交響曲、宗教曲、オペラを中心に聴いていますが、モーツァルトのディヴェルティメントに関して疑問を持っていたので、今日はそのことを綴ろうと思います。

ディヴェルティメントに多少興味を持ったのは、やはりカラヤンのおかげです。今から30年ほど前になるでしょうか。その当時はBS放送でたまに「カラヤン名演集」という番組があり、70年代のベルリン・フィルとのチャイコフスキーの4・5・6番やブラームス交響曲などを観ることができました。また、日曜日の夜中に晩年のライブ演奏も何度か放送してくれたので、VHSで録画して何度も観ていました。その中で、ベルリン市750周年記念コンサートがあり、そのプログラムがモーツァルトのディヴェルティメント17番ニ長調R・シュトラウス交響詩ツァラトゥストラはかく語りき」でした。(この演奏は「カラヤンの遺産」シリーズで観ることができます)

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初めて聴いた時は、弦楽合奏にホルンが入っていて面白い曲だなと思いました。弦楽合奏がメインの曲にしては5楽章もあり、30分以上かかるボリュームのある曲だなぁと感じました。曲目解説もなく、ただ録画した演奏を観ていたので、何の疑問も持つことなく月日は経っていきました。初めて聴いた時から15年は経ったでしょうか。その時にこのCDを買いました。(中古CDですけど)

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そして、いざ聴いてみると、聞き覚えなのない音楽が4楽章の後に流れてくるではありませんか。この曲はそれなりに聞き込んで(観込んでかな?)いたので、だいたい音楽の流れは覚えていました。それなのになぜ違う音楽が聴こえてくるのか?不思議に思い、CDケースのトラックを確認してみると、なんと6楽章まであるではありませんか!

今まで観ていた演奏は5楽章がカットされていたんです。ちょっとショックでした。

その後、VHSもだいぶ劣化してきたので、DVDでカラヤンの遺産シリーズを購入し、そのDVDのケースを確認したところ演奏されている楽章が

Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ・Ⅳ・Ⅵ

となっているのです。5楽章がカットされていることはこのケースを見ないと分からないので、当時、5楽章の存在を知らなくても仕方がなかったですね。逆に、音源から入り、この演奏会を観た人は5楽章がなくてびっくりしたことでしょう。

 

実は、カラヤンはディヴェルティメントの15番でも同じことをしています。CDでは6楽章きちんと録音していますが、1984年の大阪公演(DVDでは「ライブ・イン・大阪1984」)ではやはり5楽章をカットして演奏しています。17番と同じように、DVDのケースにはⅠ・Ⅱ・Ⅲ・Ⅳ・Ⅵの表記になっています。

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この両曲の5楽章カットですが、当日演奏されていたが、編集でカットされたのではなく、もともと5楽章を演奏していないようです。文献やサイトで「演奏会では5楽章はよく省略される」という文言がありました。どういう理由で5楽章がカットされるかは分かりませんが、そういう風習があったようです。ただ、これはカラヤンだけが行っているのかどうかは?です。ご存知の方がいらっしゃればご教授お願い致します。

 

ところが、カラヤンが若かりし、1972年のロンドンライヴ。プログラムは、ディヴェルティメント15番変ロ長調ストラヴィンスキーの「春の祭典」。この演奏ではカットなしに6楽章きちんと演奏しています。事前には5楽章がカットされると予告されていたと解説書には書かれていますが、なぜか全て演奏されたそうです。

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一般的に交響曲などで繰り返しを省略することはよくあります。(繰り返さないことが正しいのかどうかは?です。楽譜に書いてあるのにリピートしないのは作曲家に失礼という考え方もありますよね。ただ、歴史的に繰り返していない何かがあるのでしょう。)また、研究によってもともとは繰り返しがなかったと考えられるものや作曲家が亡くなり、違う人が補完した部分をカットすることはあり得るでしょう。トスカニーニプッチーニの最後の歌劇「トゥーランドット」で、プッチーニが亡くなって、他の人が書き足した部分の直前で演奏をやめてしまったというエピソードがあります。しかし、演奏時間等の関係で楽章をカットして演奏するということはあまりないのではないでしょうか。いくつかの楽章を抜粋するようなプログラムはあるかと思いますが(例えば、誰かの追悼のためにベートヴェンの第3交響曲「英雄」の2楽章・葬送行進曲を演奏するなど)カラヤンが演奏会ではベートヴェンの第6交響曲「田園」の3楽章をカットして演奏していたなど聞いたことがありませんよね。曲全体の構成を考えると、楽章をまるまるカットしてしまうのは個人的には賛成しかねますが、芸術にはそれなりの深い理由があるのかもしれませんね。あるいは、カラヤンだからできたことなのかもしれません。