karajanjanの日記

カラヤンについて語りましょう

ビックリするベートーヴェンの7番♫

明日から12月、今年も残すところあと1カ月となりました。歳月が過ぎるのは早いですね。

さて、今月はベートーヴェンの7番が取り上げられることが多いと綴りました。残念ながら今週はなかったように思います。ですが、せっかくですので、今月最後の記事はやはりこのベートーヴェンの7番を話題にしたいと思います。

今回取り上げるのはこの演奏です。

              

これは1977年にカラヤンベルリン・フィルが来日した際のベートーヴェンツィクルスです。TOKYO FMから発売されました。発売当初は、秘蔵の録音のお目見えということで、カラヤンファンでなくてもこのツィクルスを購入して耳を傾けたようです。録音に関してはライヴということもあり、多少事故が起こっていたとライナーに記されています(特に第9番はマイクの1本が駄目になり、残ったマイクでなんとか録音できていたとのことです)。そのため、諸々修正が加えられてはいるようですが、ライヴのカラヤンが楽しめるCDだと思います。

CDとしては、「1番&3番」「2番&8番」「4番&7番」「5番&6番」「9番」の交響曲のCD5枚とワイセンベルクソリストに迎えたピアノ協奏曲3番&5番のCDが発売されました(後にすべてがセットで販売もされています。そのセットにはミニ写真集がついているとのことですが、分売で全て買ってしまっている私は、カラヤンが好きだとはいっても、写真集のためにセットを再購入はしませんでした)。

このCDの7番を初めて聴いた時、衝撃が走りました!一瞬心臓が止まるかと思うくらいビックリしたのを今でも覚えています。これはこのCDが発売されてすぐに話題となったので、ご存知の方も多いかもしれませんが、自分にとって忘れられない出来事だったので、今回、紹介しておきます。1楽章、Adagioがずっしりとした音でスタートします。少しすると木管やホルンとともにオーボエがソロを奏でていきますが、ここで、「あれ?オーボエおかしくない?」とこの曲を知っている人なら誰でも気が付くミスが発生します。完全に出るタイミングを間違ってしまい、演奏が崩れてしまいます。オーボエは間違いに気づいていないのか、どうしようもなくなってしまったのかは分かりませんが、修正して吹くことなく、そのまま吹き続けます。「このままではまずい!」と心配になるのですが、その後、急に収まるべきところに収まるとでもいいましょうか、ベルリン・フィルのあのアンサンブルの緻密さが復活し、演奏は無事続いていきました。このミス以降、ベルリン・フィルは気を引き締めたといいますか、汚名返上とばかりに熱演を繰り広げることになります。この冒頭以外は集中力の高いいい演奏だと思います。4楽章の爆演ぶりは面白いですよ。この演奏を何度も聴いているので、もう冒頭のミスをそれほど気にすることなく聴くことができるようになりましたが、初めて聴いた時のビックリ加減は、クラシック音楽を聴いている中では1番の驚きだったかもしれません。アマチュアでも、あの部分で拍を間違えることはそうないと思うので、会場で演奏を聴いていた人はもっと驚いたでしょうね。

ネット上ではこのオーボエの間違いについて、「ロター・コッホ(当時のベルリン・フィルオーボエの首席奏者)が間違った」といった記事や「コッホに代わって演奏したシュレンベルガー(新たに主席奏者として加わったオーボエ奏者)がミスした」といった記事が出ています。両方の記事に、「自分はその演奏会を聴きに行った」という表記も見られますが、人間の記憶はそう定かではないので、どちらかは記憶違いなのでしょう。また、このCDのライナーには「ベルリン・フィルといえど、思いがけない事件も時に生じることがある。その一例が「第7番」冒頭でのオーボエでのミスだろう。この曲では、1番奏者を名手ローター・コッホに代わってある若手奏者が受け持っていたのだが、その彼が緊張のあまり数え間違ったらしいのである。ライヴにはよくある話だ。」

と書かれています。ライナーには「シュレンベルガー」の名もはっきりと記されていないので、もしかするとネット上の記事が両方とも間違いで、コッホでもシュレンベルガーでもない奏者が吹いて、失敗の結果、入団試験に落ちてしまったという可能性もあるかもしれませんね。

オーボエ奏者は特定できません(特定する必要がないですよね。誰にでも失敗はありますから)が、ネットの記事で共通していたことは、カラヤンがこの奏者のミスに動揺することなく、淡々と拍をとり続け、そして自然と元の音楽に戻っていったということです。無理にガイドを出して、オケを混乱させることなく、自然治癒ではありませんが、オケが自然に正しい音楽に戻ることを信じて待っていたのではないでしょうか。こういったところは、オペラ指揮者での経験が生かされているのではないかと思います。オペラでは歌手が出を間違ったり、伸ばすべき拍を間違うことは日常茶飯事とのこと。それをいかに何事もなかったかのように演奏するかがオペラ指揮者の力量だと言われています。カラヤンにとっては大きな問題ではなかったのかもしれませんね。

ちなみに、この来日公演、演奏は今はなき普門館で行われました。普門館はオーケストラの演奏会をするには巨大すぎて向かないとされていました。(吹奏楽のコンクールではよく使われており、私も何度か演奏した思い出があります)ですが、ベルリン・フィルはこの巨大なホールを震撼させるほどの大音量でベートーヴェンを奏でたそうです。それがいいかどうかはわかりませんが。なので、録音の方もとても苦労したようです。

その努力の結晶が、このツィクルスのCDなのですが、私は、この来日公演CDの演奏はそれほど感動を覚えませんでした。カラヤンのライヴということでかなり期待していたのですが、その期待を上回る演奏には感じられませんでした。オケのまとまりが全体として緩い気がしています。これはやはりホールのせいかもしれませんね。ホールのせいでなければ、カラヤンベルリン・フィルの鉄壁のアンサンブルが崩れ始めた時期なのかもしれませんね。カラヤンの体調も影響していたのかもしれません。特に3番「英雄」に期待していたのですが、いまいちでした。個人的には80年代のカラヤンGOLDで発売された「英雄」の方が好きです。「英雄」に関しては、また後日、記事にしたいと思います。

まだこの事故が起きている7番を聴いたことがない方は、心して聴いてみてくださいね。知っていてもビックリすること間違いなしです。

これで、今月のベートーヴェン7番特集を終わりたいと思います♫

 

今月はベートーヴェンの7番♫

急に寒くなりましたね。皆様体調は大丈夫でしょうか?

さて、11月に入り、カルロス・クライバー特集でベートーヴェンの7番が放送されました。これはこのブログでも書かせていただきました。その後、クラシック音楽館で、ファビオ・ルイージNHK交響楽団によるベートーヴェンの7番が放送されました。そして、つい昨日、おとなのEテレタイムマシンで久しぶりにクラシック音楽が取り上げられ、なんと、1996年のホルスト・シュタインNHK交響楽団によるベートーヴェンの7番が放送されました。2つ目のルイージN響の放送は、今年行われた定期公演の様子なので、放送するのはなんとなくわかる(とはいえ、この放送も曲の関係で時期を変えることは可能ではあるはずですが)のですが、特に3つ目のシュタインの7番はとても意図がありそうに感じました。毎週のようにEテレベートーヴェンの7番って、普通は気が付くし、2週連続、あるいは隔週放送だとしても、一般的には同じ曲は並べないように思います。それなのに3週連続で放送している。今月の番組の構成に、ベートーヴェンの7番が大好きな方が関わったのでしょうかね?私は7番は大好きなので、大歓迎でしたが、勇気のいる、大胆な番組構成だったと思います。

さて、今回は3番目に放送された、ホルスト・シュタインNHK交響楽団との演奏を少し綴りたいと思います。シュタインさん、とっても愛らしい方ですよね。

            

先程書きましたが、これは1996年の演奏です。かつてのN響を代表するメンバーが曲を奏でています。コンマスは木村さん(当時は德永さんや堀さんの方が凄かったように思います)でしたが、フルートが小出さん、オーボエが茂木さん、クラリネットが磯部さん、ファゴットが岡崎さんという木管の布陣です。金管はトランペットが津堅さん、ホロンが松崎さんでした。改めて、凄いメンバーですよね。特に凄かったのはホルンです。ベームウィーン・フィルの来日公演張りに、吠えまくっていました♪しかもビシッとはまった太い音です。これほど力強く安定した7番のホルンはそう聴けないと思いますよ。

演奏全体は、テンポとしてはオーソドックスな演奏だったと思います。速すぎず、遅すぎずですね。クライバーカラヤンのようなスピード感は無いのですが、どっしりとした安定感のある演奏だったと思います。この時期のN響の音はやはり今と比べるとかなり重たいと思います。「重たい」というのは決して悪い意味ではなく、ドイツ音楽に適した重量感のある響きという意味です。得にこの時期のN響ではシュタインさんとサバリッシュさんが指揮台に立つと、そういった重たい響きを奏でてくれていたように思います。冒頭からずしんとした和音が奏でられ、久しぶりに、「これがベートーヴェンだ!」と思いました。細かい音や、テンポの変わり目など、これまた素晴らしい演奏です。各ソロパートにパッと寄り添った素晴らしいアンサンブルを聴くことができます。ルイージの7番も良かったのですが、このあたりのN響の自分たちで合わせにいく心意気のようなものは、このシュタインの演奏程は感じられませんでした。どの楽章も決してわざとらしくなく、一瞬音に圧がかかってから出ているように聴こえ、これがドイツの巨匠たちが作り出せる世界なんだと思いました。そんな中、1楽章の終わりのホルンには脱帽です。シュタインが煽ることなく、淡々と指揮をしていても、がっつりとホルンが聴こえてきます。

2楽章は変にゆったりすることなく、粛々と音楽が進んでいきます。音も重心が低く、味わいのあるハーモニーです。音が抜けずに、最後までしっかりとした響きで残って聴こえます。最近のオーケストラは音が抜けてしまう演奏が多いなぁと個人的に感じている(抜けるのが悪いわけではないのですが)ので、この演奏は心に染みました。途中、ビオラの川崎さんの楽器がおかしくなった(弦がきれたようです)ようで、後ろから楽器がまわってくる楽器交換の場面も垣間見ることができます。こんな場面、滅多に見られませんよ!

3楽章・4楽章はやや落ちついたテンポで一気に進みます。この2つの楽章のトランペットは素晴らしいと思います。1楽章はおとなし目かな?と思っていましたが、待ってましたとばかりに、Aの音を炸裂させています。この2つの楽章の木管のアンサンブルもしっかりあっていて素晴らしいと思います。バランスがいい響きです。4楽章は個人的にもう少し速くてもいいかなと思いますが、ずっしりとした響きを出しながら進むには、シュタインのとったテンポで正しいのかもしれませんね。どうしてもカラヤンクライバーのスピード感に酔ってしまっている人からすると、他の演奏が遅く感じられてしまうと思うのですが、速くて軽いだけの演奏になってしまうことが一番NGだと思うので、そうならないためのテンポを設定したのでしょう。シュタインの指揮ぶりは、この2つの楽章においても淡々としていました。身振りを大きくし、大汗をかいてオケをリードしようとする素振りは全く見せていない、それなのにN響は燃えています。これはある意味、指揮の極意かもしれません。オケが自分たちでやる気を出させる指揮。それがみごとに達成されていた演奏でした。

久々に、安心できるベートーヴェンを聴いた気がしました。

私は、大学時代にベルリンに行く機会があり、ベルリンのウンター・デン・リンデンの歌劇場でR・シュトラウスの「サロメ」が上演されていたので、観に行きました。その時の指揮が幸運なことにシュタインでした。この時の「サロメ」も実に安定した演奏だったことを記憶しています。シュタインは歌もとてもうまいんですよね。当時のN響アワーで、リハーサルシーンを放送してくれたことがあったのですが、高い美しい声で、曲のメロディーを歌いあげて、「こう演奏してくれ!」とN響に話しかけていました。「こんないい声なんだ」とシュタインを見るたびに思い出してしまいます。

また来週、7番があるかもしれませんね‥‥。

 

クライバーのベートーヴェン

本日、14時からカルロス・クライバーベートーヴェン交響曲第4番&7番の放送がありました。TVの番組表を見てみたところ、この番組があったので、すぐさま視聴予約&録画予約をしました。この演奏会のDVDは所持しているのですが、今回の放送は4Kバージョンで、高画質になってるので、録画もしておこうと思いました。カルロス・クライバー没後20年の企画だそうです。クライバーが亡くなってから、もうそなに経っていたのですね。

演奏はコンセルトヘボウ管弦楽団とのベートーヴェン4番&7番。伝説的な名演ですね。この映像が発売された当初からクライバーファンだけではなく、多くの人が賞賛した演奏です。あとは、コンセルトヘボウの音が好きかどうかでわかれるのかな?と思います。そのDVDはこちらです。なぜか収録順は7番⇒4番になっています。

              

演奏は全体的にエネルギッシュですね。視覚もあいまって、余計に力のこもった演奏に感じます。4番はとても難しい曲だと思うのですが、実に楽しそうに指揮しています。改めて映像でクライバーの指揮ぶりを見てみると、1980年代は結構力を込めて、細かく指示を出しながら振っていますね。もともとあまり多くのオーケストラとコンサートをする方ではなかったので、指揮で全てを伝える必要があったのでしょう。実に華麗に、しかも意図が分かる振り方だと思います。指揮棒の握り方を瞬時に変えて、軽く、上方向へ振ったり、しっかりと握って下方向へ振りぬいたりと、どんな音を出して欲しいのかがよくわかる指揮だと思います。まさに天才的な指揮ぶりですね。

活力があり、繊細な演奏だと思いますが、勢い、流れは先日紹介した、バイエルン国立管弦団との演奏の方が凄いかな♫と個人的に思います。コンセルトヘボウとの演奏の方が若干余裕があり、優雅かもしれません。音色も明るめに聴こえるので、バイエルンとの演奏の方がヘビーでよりベートーヴェンらしいのかもしれませんね。

7番も、冒頭から実に華麗な響きでスタートします。やや他の7番よりも落ち着いた演奏かもしれません。手を大きく広げてスケールの大きな響きを引き出しています。途中、振るのをやめたりする場面もあります。これは演奏を通じて、だいぶオケと意思疎通ができるようになり、クライバーがオケに任せようと思ったのだと思います。しかし、4番同様、かなり大振りかつ細かく指示を出しながら指揮をしていますね。時より指揮棒を突き刺すように振ったりもします。鋭い音を要求しているのでしょう。オケもそれに応えて、鋭い音を出していますね。特に7番では左腕を振り回している印象を受けます。1990年代に入ると、そこまで腕を振り回さずに指揮をするようになっていると思うので(年齢の関係かもしれませんね)、比較して見ると思い白いと思います。

クライバーの7番は、CDとしてはウィーン・フィルとの録音を所有していますが、私はこのコンセルトヘボウとの7番の方が好きです。2楽章などはウィーン・フィルとの演奏の方が甘くて優美な感じがしていいのですが、4楽章の音が気に入っていません。これは、クライバーの7番に限ったことではありません。カラヤンバーンスタインショルティアバドなどの名指揮者たちもウィーン・フィルベートーヴェンを録音してきました。ですが、この方々の7番の4楽章の音が、私にはどうしても物足りないんです。音が抜けてしまうといいますか、「ズン♫」と引っ掛かってこないんです。なので、響きがとても軽く感じられる。カラヤンアバドベルリン・フィルとの7番の音は満足しています。それに、ショルティアバドバーンスタインの他の交響曲の音は軽いとは感じません、なぜか7番だけはそう感じてしまうんです。うまく説明できなくてすみません。クライバーの7番も同じく、4楽章に不満が残っていたのですが、このコンセルトヘボウとの4楽章は私としては「Good!」です。世の中的にはウィーン・フィルとの7番の方が評価が高いかもしれませんね。あるいはバイエルンとの演奏を好む方もいることでしょう。

色々なことを思い出させてくれる放送でした。

そういえば、7番の4楽章でクライバーが2か所ほど不満げな顔をします。金管の「タカタン」というタンギングする音が外れているのでしょう。1度目は右手で右耳を指して、「よく聴け!」といわんばかりのリアクションをとっています。こういったやりとりは音源だけではわかりませんよね。実に面白い演奏でした!

 

「ハルサイ」は難しい♫

昨日、11月3日はレコードの日だそうです。運転している最中のラジオからそんな話題が流れてきました。

帰宅後、「では私も1曲何か」と思い手に取ったのがストラヴィンスキーの「春の祭典」でした。なぜこの曲に手を伸ばしたのかは自分でも「?」なのですが、この曲に手がいったのには何か理由があるのでしょう。

この「春の祭典」、演奏がとても難しい曲です。私も何度か演奏会で演奏しましたが、いわゆる「事故」がつきものです。変拍子が多い、速い、音符が細かい、リズムが複雑といったやりづらい要素が全て詰まっているというとんでもない曲です。プロの演奏会でも何度も「事故」現場に遭遇しました。金管が休符に飛び出してしまったり、木管変拍子の入りを間違えたり、打楽器が肝心なところで入れなかったり‥‥。

テレビの放送でも色々事故らしきことが起こっていました。一番印象に残っているのは、外山雄三さんとN響の演奏です。最初の方の変拍子の部分で、木管がうまく入れなくて、バラバラになりそうなところをなんとか外山さんが修正をかけて、事なきを得ましたが、その時の外山さんの顔。本当にムッとした表情でした。「怒ってるだろうな♫」と誰が見ても分かる表情でした。プロでもこんなことがある曲なんです。指揮者が振り間違えることもそう珍しくないこの曲ですが、昨日聴いたのはこのCDです。

            

1975年~1977年にかけてのカラヤンベルリン・フィルの2度目の録音です。ご存知の方も多いかと思いますが、カラヤンベルリン・フィルの1回目の「春の祭典」の録音を聴いた作曲者のストラヴィンスキーは、「本物というよりは飼い慣らされた野蛮さ」と評し、カラヤンの演奏を認めませんでした。まあ、他の曲に関して、評論家が良く述べる、「この演奏は綺麗過ぎる」とか「レガート過ぎる」という意図が多分に込められていたようです。こういうのが大好きな評論家が騒ぎ立てたわけです。

確かにカラヤンの「ハルサイ」は良くも悪くも「綺麗」だと思います。不協和音なども耳をつんざくようなひどい音は聴こえてきません。言い過ぎかもしれませんが、「最も澄んだ透明」な「ハルサイ」なのかもしれません。しかし、この録音、実際には1977年に、ライヴのごとく、スタジオ録音とはいえ、ほぼ一発録音だそうです。ほんの数か所の手直しだけで、この録音が完成したとのこと。1975年に録音を手掛けようとした際、脊髄の痛みがひどくなり、大手術となったため、これだけ長期間の録音期間となったわけですが、一発どりとは思えない完成度です。スタジオ録音であればリズムの間違いや、飛び出しは当然修正できますが、そんなことをする必要がなかったベルリン・フィルにはやはり脱帽ですね(多少のミスはありますが、流れがよかったのでしょう)。ちなみにこの録音の様子の一部を映像作品「Karajan The Second Life」で観ることができます(ここではカラヤンは指揮棒を使っていないんです)。

さて、この演奏は情熱的な部分もありますが、落ち着きもある演奏だと思います。「冷静と情熱の間」(映画のタイトルにありましたかね?)といった演奏でしょうか。1部後半の盛り上がりはワクワクさせられます。

カラヤンは他の曲では若い頃からテンポや解釈があまり変わらないことでも有名ですが、さすがにこの「ハルサイ」は同じようには演奏できていなかったようです。カラヤンのせいではなく、恐らく奏者がきちんと演奏できるかにかかっている部分が大きいので、曲の特性からいっても、同じ解釈の演奏というよりは「一期一会」の演奏の確率が高いような気がします。

さて、カラヤンには他に2つのライヴの「ハルサイ」があります。

1つが1972年のロンドンライヴ。TESTAMENTから販売されています。

            

この演奏は77年のスタジオ録音よりも細かい音が鮮明に聴こえてくる演奏です。装飾音符の入れ方なども「おや?」と思う部分が時よりあるので、細かいこだわりがあるのかもしれません。和音は比較的高・中音の響きがメインで奏でられている気がします。重心の低い「ハルサイ」ではなく、比較的ライトな雰囲気を醸し出しているかもしれません。ストラヴィンスキーに非難された演奏から少し変化を持たせた解釈の可能性もありますね。

私が一番面白いと思っているカラヤンの「ハルサイ」は、もう1つのライヴ録音。1978年のルツェルンで行われたコンサート。それがこちらです。

            

この演奏、今までの2つの演奏とは大違いです。発売当初から、「こんな熱いハルサイは他には無い!」といった評が飛び交っていました。爆演の部類に入るのではないでしょうか。録音のバランスの問題もあるかとは思いますが、とにかく打楽器が物凄い!普段あまり聴こえないバスドラムもバンバン聴こえてきます。ティンパニも炸裂しています。こんなに燃える演奏をするんだ、とビックリするくらいです。この演奏から、「やっぱりカラヤンはライヴの人だ♪」という人もいることでしょう。

個人的には、金管も爆演をしていると思います。チューバなどもまさに「咆哮」している感じです。1972年のライブよりも中低音が充実しており、「野蛮さ」がかなり出ているような気がします(私がもっと野蛮で面白いと感じる「ハルサイ」はまた後日、綴りたいと思います)。第1部の最後の盛り上がりは3枚の中で最高の出来だと思います。その雰囲気を保ったまま、静かな2部がスタートしますが、重たく、野性味あふれた演奏だこと!これならストラヴィンスキーも「うん」と頷く演奏なのではないでしょうか。このCD、なんとベートーヴェン交響曲第7番のライヴ録音とのカップリングなので、更に魅力的だと思います。同じく1978年の演奏です(同じ演奏会ではありませんが)。

この7番の推進力も凄いのですが、ホルンの音があまり拾われていないのが残念‥‥。そのせいで少し勢いが足りない気がします。でも、想像ですが、ベルリンのホールではホルンの音がビンビンに響いていたような気がします。終演後の聴衆の反応が物凄いですから。

というわけで、今回はオケにとって難しい「ハルサイ」を取り上げてみした。昔は、この類の曲はどちらかというと苦手で、聴くことはなかったのですが、自分で演奏したことがきっかけで、親しめるようになりました。みなさんはどの「ハルサイ」がお好きですか?

ベートーヴェンの交響曲第4番

先週の夜はバロック音楽ブルックナーを満喫しておりました。記事を読んで下さった皆さん、ありがとうございます。

さて、かなり前にブルックナーの8番ついて綴った記事があります。その中で、この8番の交響曲が健康のバローメーターになっていると説明させていただきました(簡単に言うと、音楽を流した直後から、音がバラバラに聴こえたり、耳障りな響きとして聴こえてくる日は何が悪いかは分からないのですが、なんだか調子が悪いんです)。なので、先週のルイージN響の演奏を聴いてワクワクしたので、先週の体調は良かったということですね。

実は、ベートーヴェン交響曲第4番もこれと同じ傾向にあると、最近気が付きました。4番は自分の聴く頻度からすると、ブルックナーの8番よりも少ないので、気が付かなかったのかもしれませんね。

私が最も好きな4番の演奏はこちらです。

               

世の中でもベスト盤と評されるほど人気の演奏ですね。これほど速く演奏して、よくオーケストラが破綻せずに演奏できたなぁ♫と本当に驚きです。クライバーベートーヴェン交響曲に関しては、4番、5番、7番以外はほとんど演奏していないのではないでしょうか。(6番は数少ないライヴがCDとなりましたね)ウィーン・フィル相手に、2楽章が自分の思い通りにならなず、演奏会をボイコットしてしまったという、「テレーズ事件」のエピソードも有名です。とにかくこの速さで4楽章を演奏されると、木管楽器が本当に大変、特にファゴット泣かせの曲と言われています。この演奏はバイエルン国立管弦楽団の演奏ですが、このオケのファゴット奏者はどう思って演奏していたのでしょうね?

ここまで、クライバーの演奏について述べてきましたが、本日の本題、健康のバロメーターになっている4番はカラヤンの演奏です。カラヤンの4番はイメージ的には速い演奏のグループに入りそうですよね。ところが、カラヤンの4番は決して速くないんです。どちらかというと普通?というイメージを持ってしまいます。カラヤン好きの私ですが、4番に関しては、名演奏とか爆演という部類には特に入ってこない普通にうまい演奏だと思っています。普段聴いていた演奏は80年代のデジタル録音および、同時期の撮られた映像作品です。

               

70年代の録音もたまに聴きますが、印象はほぼ同じ感じです。しかし、晩年の2つの録音、特に1楽章を聴いていると、他の録音とちょっと印象が異なる時があります。その演奏がこちら。

            

左側がTESTAMENTから発売された、ロンドンのロイヤル・フェスティバル・ホールでのライヴ録音。1985年のものです。この日はベートーヴェン4番とR・シュトラウス交響詩英雄の生涯」です。このシリーズは、シェーンベルクの「浄夜」とブラームス交響曲第1番の伝説の名演も同時期にリリースされました。そして右側がドイツ・グラモフォンから発売された、カラヤン最後の来日公演3枚のうちの1枚です。1988年の東京文化会館での演奏です。ベートーヴェンの4番とムソルグスキー組曲展覧会の絵」(この「展覧会の絵」については以前の記事で紹介しました)というプログラムです。

さて、この2枚の演奏。何が他のカラヤンの演奏と異なるのかというと、1楽章の第1主題のテンポなんです。実は多くのカラヤンの4番の各楽章の演奏時間はそれほど変わりません。5~6秒の差しかないので、ほとんど誤差です。若かりし時から演奏のスタイル、テンポが確立されているということは、素晴らしいことですね。しかし、この2枚の演奏、なぜか、第1主題が遅いように感じます。この「遅く感じる」度合で元気かどうか判定できる気がするんです。この前、「ちょっと疲れているなぁ」と思って、来日公演版を聴いてみたところ、物凄く遅くて、胃もたれしそうに聴こえました。「こんなにもたつく?」とまで思ってしまいました。口直しにと、80年代録音のカラヤン・ゴールで聴いてみると、「遅くない!」と思ったんです。まさかと思って、TESTAMENT版を聴いてみました。「遅い‥‥。進まない。」と感じたんです。なので、他に所持しているカラヤンの4番をかけまくりましたが、胃もたれしそうに感じたのはこの2枚だけでした。

そして、本日、この2枚を改めて聴いてみましたが、「あれ、そんなに遅く感じないぞ?」というわけです。恐らく、この2枚は第1主題部分が他の演奏よりもやや遅く、そして重たく、1音ごとに前のめりにならないようにカラヤンがブレーキをかけているような気がします。その分、他の部分が少し速く演奏され、結果的に他の録音と同じ時間になったと思われます。今日は比較的元気という自覚があります。ということは、この4番の特に1楽章の第1主題でも私の健康の状態が計れるということが分かりました!

皆さんにも、健康のバロメーターとなる曲、演奏があるのではないでしょうか?あれば、是非、教えてくださいね。

秋の夜長はバロックで♫

今日は昨日と比べ、肌寒かったですね。秋っぽい気候が訪れた感じがします。

そんな今日は、ゆっくりとバロック音楽を楽しみました。

             

アルビノーニアダージョ

ヴィヴァルディのフルート協奏曲ト短調作品10の2『夜』

バッハのG線上のアリア

パッヘルベルのカノンとジー

グルックの精霊の踊り

モーツァルトのセレナーデ第6番ニ長調K.239 セレナータ・ノットゥルナ

が収録されています。

どれもショートピースなので気楽に聴けるCDだと思います。しかしながら、1曲目がアルビノーニアダージョなので、いきなり重たい印象を受けるかもしれませんね。勝手な解釈ですが、このCDは最後にいくにしたがって曲調が明るくなっていくような気がします。CDを全て聴き終えた時には、明るく爽やかな気持ちになれるよう考えたのかもしれないですね!

私はアルビノーニアダージョはとても大好きな曲です。別に気分が良い時、悪い時関係なく聴いています。オルガンとの重厚なサウンドが何とも言えないですよね。とくにこの演奏はベルリン・フィルの音の厚さも加わり、一層深い、重たい演奏(いい意味で)になっているのではないでしょうか。カラヤンはこの曲を2度ドイツ・グラモフォンに録音していますが、2度目のこの演奏の方が約1分遅くなっています。私は2度目の遅いアダージョの方を好んで聴いています。人によってはちょっと粘り過ぎと感じるかもしれません。3拍目がなかなか来なくて、イライラするかもしれませんね。私はその3拍目を待つのが好きなんです。変わり者かもしれませんね。

2曲目のフルート協奏曲はアンドレアス・ブラウの独奏です。髭を蓄えたダンディな首席奏者です。曲が飛びますが、5曲目の精霊の踊りでもフルートがソロで活躍します。こちらはカールハインツ・ツェラーが独奏を務めています。2人の首席奏者の音色が楽しめるのもこのCDのいい所だと思います。ブラウの音色の方が柔らかく、ツェラーの音色の方が明るく強い響きのように感じています。皆さんはどちらの音色がお好みでしょうか?ベルリン・フィルのフルートの主席と言えば、ジェームズ・ゴールウェイが1番という人も多いかもしれませんね。音色はこの3人では飛びぬけて明るいと思います。でも明るいだけではなく艶もある。私も3人を比べたらゴールウェイが一番好きかもしれません。

3曲目のG線上のアリアカラヤンの構成力のうまさが光っています。ピリオド奏法ではなく、オーソドックな演奏法です。ゆったりとしたテンポ、響きの薄めの曲ですが、重心はしっかりとしたしっとりとしたバッハに仕上がっていると思います。バッハはもっと淡々としてると仰る方もいるかもしれませんが、これくらい艶っぽいバッハも秋の夜長にはいいのではないでしょうか?

4曲目のカノンとジーク。一般的にはカノンばかり注目されて、後半のジークの部分はあまり知られていないかもしれませんね。軽快で私は好きですよ。このパッヘルベルのカノン。高校時代の吹奏楽部の定期演奏会で指揮をしました。まさにこのCDを参考にしていたので、カラヤンばりのテンポで演奏に臨みました。この頃はそう多く、他の指揮者や演奏家の演奏を聴かなかった(自分のお小遣い的にも聴けなかったという事情はあります)ので、カラヤンのテンポが普通と思い込んでいましたが、色々な人から、もっと遅い演奏の方が多いと聞かされました。確かにベルリン・フィルだからこのテンポで軽々と弾いていますが、アマチュア奏者がこれを演奏するとなると考えた方がよかったかな?と今となっては反省しております。また、カラヤンがヴィヴァルディの四季などでチェンバロの弾きぶりをしているのを見て、私も挑戦してしまいました。スコアから通奏低音の部分を自分なりに編曲して、シンセサイザーチェンバロの音に設定し、本番、弾きぶりをしました。なんとか間違わずに演奏を終えることができ一安心した記憶があります。それほど鍵盤楽器は得意ではないのですが、演奏会後に色々な人から「ものすごくピアノがお上手なんですね」とか「もっと色々と弾けるんでしょ?」と言われ、ちょっと恥ずかしかった記憶もよみがえってきました。無謀なことはしてはいけませんね♫

5曲目は先程簡単に触れたので、最後の6曲目。カラヤンモーツァルトのセレナーデやディベルティメントのような室内楽的な作品も大好きだったようですね。演奏会ではこの曲は取り上げていませんが、丁寧に仕上げられていると思います。あっさりと聴けるので、BGMとして流してもOKな気がします。曲は短いのですが、3楽章で構成されています。面白いのがこの曲の編成です。管楽器はありません。弦楽アンサンブルとティンパニで演奏されます。ティンパニだけ加わっているというのが実に不思議ですね。ですが、このティンパニ、実に軽く演奏にアクセントを加えてくれます。カラヤンベルリン・フィルのこの演奏はいつもの重力感はなく、ピリオド奏法ではないけれども、軽いタッチの演奏になっています。音もいつもよりもやや短めなのかな?と感じます。これまでのゴージャスなキラキラした演奏とは違い、意外に質素にまとまっていて、これはこれで面白い演奏だと思いました。

この記事を綴りながら、ファビオ・ルイージN響ブルックナー交響曲第8番を聴いています。初稿という今まで聴いたことのない版での演奏です。確かに聴き慣れない響きや、聴いたことのないフレーズがバンバン出てきます。1楽章の終わりが静かではなく、ゴージャスなTuttiで終わりました。どの楽章も全体的に響きが明るい気がします。重厚な第8番のイメージがだいぶ和らぎます。初稿なので、もしかするとブルックナーが本当に書きたかった響きなのかもしれませんね。個人的にはこの版はちょっと違和感がありますが、何度か聴けば違和感はなくなるかもしれません。版が違うとここまで曲が変わってしまうとは、面白いものですね。

久々の「吹奏楽の旅」

先日、日本テレビで、「1億人の大質問!?笑ってコラえて!」が放送されましたが、その中で、久々に「吹奏楽の旅」の特別編がありました。昔は吹奏楽コンクールシーズンになるといつも放送されていましたが、最近はあまり特集がない気がします。放送されている時は、自分の部活にも取り入れられることはないか、必死に何度も見ていた記憶があります。

           


今回は、丸ちゃんこと、丸谷明夫先生率いる、吹奏楽コンクール金賞常連の大阪府立淀川工科高等学校の総集編のような内容でした。丸谷先生は2021年に残念ながらお亡くなりになってしまいましたが、それまでの熱くて厳しい練習の様子が本当に懐かしく感じました。コンクールの課題曲である「風之舞」に取り組む先生と生徒のドキュメンタリーでした。

           

当時、この放送後、多くの吹奏楽部が文化祭や定期演奏会でこの「風之舞」を演奏していたのではないかと思います。でも、この曲、かなりソロが難しく、「やりたい!」と思っただけではできない曲なんです。私も、当時指導していたバンドから「風之舞をやりましょう!」と言われたのですが、「ソロを担当できる人はいますか?」と質問し、数日後、「ソロは誰も吹けそうにないので、この曲はやめます」という答えが返ってきました。チャレンジしたいという気持ちも大切にしなくてはいけないのですが、ある程度実力に見合った、または成長が見込まれる曲を、指導者として考えなければいけないと思いました。演奏会は決して自己満足の会ではいけないと常々思っています。ですから、あえてバンドに本当にこの曲をできる状況にあるのかを考えてもらったわけです。

さて、今回の「吹奏楽の旅」では多くの生徒が朝早くから夜遅くまで必死に練習している様子が映し出されました。勉強は大丈夫?と思うくらい吹奏楽にどっぷりつかった生活をしています。自分も高校生時代は吹奏楽にどっぷりだったので、懐かしく、微笑ましいと思ってしまうのですが、現在の教員を含めた働き方改革の観点からすると、問題点の多い活動スタイルになってしまいました。

昔は自分が吹奏楽部をやっていて、そして教師となり、生徒と一緒にコンクール金賞を目指して頑張ることはそう珍しい事ではありませんでした。私も完全にこのうちの一人です。ですが、朝早くからクラブのために出勤し、放課後の練習で夜遅くまでかかり、学校から帰るのは夜の9時過ぎになることは、今の働き方では禁止される方向にあります。もちろん、働き方改革が間違っているわけではありません。ボランティアでクラブ指導を長時間することが本来、おかしなことなかもしれません。また、コンクールや演奏会があると、休日の練習も行われ、顧問や指導者はそこにも勤務が発生する。月ごとの勤務時間超過を指摘され、学校側から指導されてしまうケースも多いと聞きます。それを回避するため、クラブを外注する動きも出てきていますが、やはり、学校の先生が常日頃生徒と接している中でクラブ指導を行うのと、外部指導者が一定の時間やってきてクラブの事だけ(中にはクラブ以外のこともやってくださる外部指導の方もいらっしゃいますが)やっているとでは、生徒の心の掴みようが違うような気がします。

また、この時代は吹奏楽に限らず、あらゆることがいわゆる根性論で語られていました。練習に多く時間を費やしたものが勝つといった考えが基本であった気がします。なので、自然と練習時間が長くなっていたのでしょう。現在ではAIを含め、科学的に検証を行いながら、より練習時間を短くしつつ、効率的で中身の濃い練習が求められています。もちろん時間が必要な練習もあるとは思いますが、効率的な練習で成果を出している運動競技も多くなりました。吹奏楽も同じような考えで取り組む必要があるように思います。実際、大学受験も色々と大変になってきていますから、高校生が昔ほど練習に時間を費やせないという現実もありますからね。

それと、私たちの時代によしとされていた指導法、これは今ではコンプライアンス的にNGなのかもしれません。今回特集にあった丸谷先生だけでなく、吹奏楽コンクールで成果をあげてきた先生方の指導は厳しい一面があります。もちろん暴力的なことはありませんが、何度も吹かせたり、きつい言葉を発したり、怒鳴ったりしています。今の時代、このように指導したら、色々なところからクレームが入ってしまうのかなぁと思いながら番組を観ていました。これは決して先生方がその時の気分だけで怒っているのではなく、本当に生徒の事を考えた時に、こんな甘い状況で悔いが残らないのか、今の自分を超えて、もっと高みをどうして目指さないのか!という思いがあったのだと思います。ゲスト出演していた、青山学院大学の駅伝部の監督、原さんも「限界を超えたところに成長がある。失敗してもそれをばねにして成長できる」と仰っていましたが、まさにその通りで、無理をせず安全なことをしていてはあまり人間として成長できないように思います。しかし、生徒のため、その人のためだとしても、発言の仕方を考えなくてはいけない時代になったことはしっかりと理解しなければいけないと思いました。

懐かしくもあり、これから自分がどうしていくべきかを同時に考えさせられた時間でした。