karajanjanの日記

カラヤンについて語りましょう

カラヤンと「タンホイザー序曲」

ここ数日は急に寒くなり、なかなか体がついていかないですね‥‥。

さて、本日はカラヤンと「タンホイザー序曲」について綴っていきたいと思います。

最近、ワーグナーがマイブームになっているので、このお題で書いてみることにしました。

カラヤンは「タンホイザー序曲」をベルリン・フィルと録音しています。1974年にEMIでの録音と、その10年後の1984年にドイツ・グラモフォンでの録音です。

そのCDがこちら。

        

EMIのジャケット、格好いいですよね!これを買ったときは、しばらく机の前に飾っていました。2つの録音は、ともに序曲だけではなく、序曲に続いて「ヴェーヌスベルクの音楽(バッカナール)」が続いている演奏になっています。「パリ版」と呼ばれているのではないでしょうか。曲に対するアプローチはほぼ同じような感じです。演奏時間もおおむね同じなのですが、テンポ感が少し違うように感じました。旧録音の方が前半はやや遅め、中間部は速めでとてもメリハリのある演奏になっています。一方、新録音の方は前半がやや速めで、中間部以降はそれほど速くない演奏です。悪く言えばあまり緩急の感じられない演奏かもしれません。個人的には旧録音のゆったり目のメインテーマが大好きです。荘厳な響きがしていてとてもいいと思います。新録音も悪くはないと思いますが、旧録音と比べると軽いかな?と思ってしまいます。

このパリ版と違い、序曲だけのバージョンは「ドレスデン版」と呼ばれています。ベルリン・フィルドレスデン版は持ち合わせていないのですが、「カラヤン・イン・コンサート」というDVDには収録されているようですね。(これを書きながら、少し記憶がよみがえってきました。もしかすると実家にLDがあったような‥‥)

このドレスデン版を録音したものがこちら。

             

カラヤンの晩年のザルツブルク音楽祭でのライヴ録音です。演奏はベルリン・フィルではなく、ウィーン・フィルジェシー・ノーマンとの初共演でも話題になりました。この演奏会とザルツブルク音楽祭で上演のオペラ「ドン・ジョバンニ」(モーツァルト)のリハーサルの様子やカラヤンの私生活などの記録が収められている映像作品がこちら。

                

カラヤン・イン・ザルツブルク」です。このDVD(最近BDでも再発売されましたね)、カラヤンがどうやって音楽に向き合っているかよく分かり、リハーサル風景も見られるのでとても貴重な作品だと思います。この中に「タンホイザー序曲」(ドレスデン版)のリハーサル風景が何回か登場します。天下のウィーン・フィルに向かって、「余計なアクセントが付いていて、不正確で困る」といったことを言ったり、「メロディーが聴こえてこない!明日のコンサートでも聴こえるといいのだが‥‥」などと言えてしまうのは、いかにもカラヤンらしいですよね。ちなみに、私はこの映像作品をLDでも所持していますが(こちらは持っているのをはっきり覚えています♫)、LDとDVDで翻訳がだいぶ違っているのが面白く感じました。

さあ、本題の「タンホイザー序曲」についてですが、このウィーン・フィルとの演奏はテンポ的には新録音のベルリン・フィルの演奏と似たようなテンポです。しかし、音楽的には少しゆったり聴こえます。ウィーン・フィルの持つ雰囲気も影響しているのかもしれませんね。「タンホイザー序曲」はカラヤンは得意にしている曲なのだろうと思っていたのですが、意外や意外、序曲の最後の部分。基本的に3拍子で振っていくとうまく指揮ができるのですが、最後の2音の部分だけリズムが変わります。そこでカラヤンがうまく指揮を振れずに、ウィーン・フィルの演奏が崩壊してしまいます。どこで最後の和音を出せばいいのかわからなくなってしまいました。カラヤンはやり直します。こう振るからこう演奏するんだ!とも説明します。しかしながらこの部分、そんなに難しくはないというのが私の率直な感想です。トランペットがファンファーレのように奏でるのですが、私が演奏をした時もリハーサルの時から特に事故は起こりませんでした。しかも有名な曲でもあり、ウィーン・フィルもそれなりにこなれている曲だと思われます。それなのにうまくいかないんです。初めてこの映像を観たのは高校生の時でしたが、「なんでここで事故が起きるの?」とびっくりしたのを覚えています。何度かやり直し、「最後の和音は完璧な響きでなくては!」と言って、ようやく私が聴いてもいい響きに変わったところでこの曲のリハーサルは終了となります。これだけ練習をすればさぞかし素晴らしい本番かと思いきや、この演奏会のCDを聴いてみると、最後の音はちょっと自信なさげな逃げているような響きになっているんです。本番もカラヤンの指揮とうまく合わなかったのでしょう。

たまたまうまくいかなかったのかなぁ?と思っていたのですが、カラヤンの生誕100年を記念に販売された記念BOXの中に1973年の来日の際のベルリン・フィルとのリハーサルが収められているDVDがありました。ドヴォルザーク交響曲第8番、トリスタンとイゾルデ、そしてタンホイザー序曲の様子が収められています。なぜかカラヤンも楽団員も正装をしています。ドレスリハーサルという言い方をしているようです。

                

まあ、着ているものはともかく、このリハーサルの様子もとても貴重です。マイクがついていないので、演奏を止めてカラヤンがどんな指示を出しているのかは分かりませんが、演奏に注文をつけています。ドヴォルザーク交響曲はほぼ1曲通しています。次のトリスタンとイゾルデは「前奏曲と愛の死」をかいつまんで練習しています。重たく音を出すように、ビブラートが必要以上にかからないようにといったことを言っているように感じます。そしてタンホイザーに曲は移っていきます。曲の後半を演奏し始め、いよいよ最後の部分を仕上げようと演奏が始まり、最後の2音にさしかかろうとしたまさにその時、なんと、ウィーン・フィルで起こった事故と全く同じ現象が起きているではありませんか!ここでもベルリン・フィルカラヤンの指揮と合わなくなり、崩壊してしまいました。そしてカラヤンがこう演奏するんだと説明をします。説明の後もうまくいかず、何度かやり直し、ようやく成功してこのドレスリハーサルが終了します。

このベルリン・フィルとの映像を後から観たので、ウィーン・フィルと同じ事故が起きていると思いましたが、よく考えてみると、ベルリン・フィルとの1973年の段階でうまく指揮できておらず、晩年の1987年でも同じ失敗をしていたということですね。1973年以前にも「タンホイザー序曲」を何度も演奏した記録が残っているので、カラヤンにしてもベルリン・フィルにしてもレパートリーとなっていたはずなのですが何度やってもうまくいかなかった可能性がありますね。この最後の2音はカラヤンにとって鬼門だったのかもしれません。完璧主義のカラヤンにしては珍しいことかもしれません。でも、逆に人間らしい一面を垣間見ることができたのかもしれませんね。

本日はここまで♫

 

チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲 ニ長調

チャイコフスキー交響曲も素晴らしいですが、協奏曲もいいですよね。私はチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲が大好きです。ヴァイオリン協奏曲の中では、自分はブラームスの協奏曲とチャイコフスキーの協奏曲が特に好きですね。

チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を1番初めに聴いたのが、アバド指揮、ナタン・ミルシュテインのヴァイオリン、ウィーン・フィルのCDでした。最初のうちはこの演奏を比較的気に入っていたですが、「自分にとってはこのテンポは速いな」と感じるようになりました。「オケの出だしも、ヴァイオリンのソロが始まってからも、もうちょっとたっぷり演奏してもらえないかな?」と思っていたところ、図書館で目にしたのがこのCDでした。カラヤン指揮、アンネ=ゾフィー・ムターのヴァイオリン、ウィーン・フィルの演奏です。

               

CDをかける前は、「カラヤンチャイコフスキーはたぶん速いんだろうな」と思いながらスタートボタンを押しました。すると、なんともゆったりとしてテンポでスタートするではありませんか!ムターのヴァイオリンを聴きもしないうちに、「これだ♫」と思った次第です。モーツァルトのジュピター同様、ゆったりとしたテンポ感が、マエストロ・カラヤンと今回も一致したわけです。そして、その冒頭のテンポを受けるかのように、ムターのテンポもゆったりしていて、ポルタメントをたっぷりとかけての演奏♫もう1楽章だけでも大満足でした。1楽章がゆっくりがいい理由がもう1点あって、それは中間部のトランペットのファンファーレが3回ほど出てくるんです。そのファンファーレを自分ならたっぷりと吹きたいという思いがあったからです。速く音を立てて吹くのもありかな?とも思いますが、なぜかゆったりといい音で奏でたいなぁと思っていました。(残念ながらこの曲はまだステージで吹いたことがないんです。もう無理かな‥‥)

2楽章はカラヤンらしいゆったりとした若干重ための演奏です。もう少し爽やかな感じを求める人は多いかもしれません。私は哀愁を帯びた感じで好きですよ。ウィーン・フィルのメンバーはもう少し前に行きたがっているような感じを受けますね。しかし、さすがウィーン・フィル木管のソロの素晴らしこと。

3楽章は全体的にもう少し速くてもいいかなと思います。後半が少しだれ気味かもしれませんね。実はこの演奏はザルツブルク音楽祭のライヴ収録。おそらく、ライヴ録音でなければ、もう少しきびきびとしたテンポに撮り直したか、部分的に修正を加えて、少し速く聴こえるようにしたのではないかと思います。しかし、全体的には重量級のヴァイオリン協奏曲に仕上がっていると思います。私はこの曲はとにかくスケールの大きな曲だと思っているので、速く軽く弾かれるよりも、カラヤン&ムターのような演奏の方がいいなと思います。

この協奏曲、カラヤンは得意にしているのかと思いきや、そうでもなさそうなんです。実は、演奏回数が少ないんです。何回だと思いますか?

正解は「9回」しかないんです。カラヤンの演奏会記録ではそうなっていますが、漏れている演奏会もあるとは思います。それにしても、あのカラヤンのキャリアの中でこの曲が演奏会では9回しか取り上げられていないなんてちょっと驚きですよね。この曲のソロはムター以外にはオイストラフも担当していたようです。レコーディングではクリスティアン・フェラスが1度録音していますね。

                

フェラスとの録音でもカラヤンのスタンスはそう変わっていない感じがします。というより、こちらの演奏の方が先なので、昔からカラヤンの解釈はしっかりと固まっていたということでしょう。冒頭はゆったり、2楽章もゆったり、しかし、3楽章はちょっとスピーディーな演奏です。CDのデータ上では、フェラスの3楽章が9分13秒、ムターの3楽章が10分9秒とだいぶ開きがありますね。この楽章の違いはソリストの違いもあるでしょうが、楽団の違いも影響しているかもしれませんね。フェラスとは1965年にベルリン・フィルと録音しています。この時期のベルリン・フィルとは一番血気盛んな演奏をしていたのではないでしょうか。1楽章は抑えに抑え、2楽章はいつものカラヤンレガートでたっぷりと、そして3楽章でパワー爆発といった感じでしょうか。一方、ムターとの演奏はウィーン・フィルウィーン・フィルはもちろんとてもうまい楽団ですが、超絶技巧を披露するというよりはいい音色をたっぷりとという思いがカラヤンにもあったのではないでしょうか。さらに、最晩年のカラヤンは若干テンポが落ちているケースが見受けられました。そのせいもあるかもしれませんね。

では、ムターが無理にカラヤンの遅いテンポに合わせていたのかというと、そうでもないんです。彼女がカラヤンとの録音の15年後に同じウィーン・フィルと録音したスタンスはそう違っていないように聴こえます。この指揮を担当したのは当時結婚をしていたアンドレ・プレヴィンです。そのCDがこちら。 

                

冒頭はカラヤンほど遅くはありませんが、ゆったり目の演奏です。ムターがカラヤン盤よりもやや速く弾く箇所があったり、間のとり方を変えたり、カデンツァを変えている関係で、50秒ほど速いですが、昔よりも速くなった!という印象は受けませんでした。むしろ、カラヤンの意思を引き継いで、成長した自分のスタイルを加えた感じです。それを旦那のプレヴィンが絶妙にサポートしていますね。

3楽章は9分31秒なので、フェラスとムターの旧盤の間のテンポです。ほどよいテンポだと思います。3楽章に関しては、私はこの演奏がしっくりきますね。

ムターが還暦を迎えた際に、やはりウィーン・フィルムーティの組み合わせでこの協奏曲を演奏していましたが、その時のテンポも同じようにゆったり目でした。ムーティカラヤンを尊敬していたので、カラヤンがかつて演奏したムターとウィーン・フィルで同じようなテンポで演奏しようと考えたかもしれませんね。この演奏もとてもよかったですよ。

今回は、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を取り上げてみましたが、改めて聴いて、やはりスケールの大きないい曲だなぁと思いました。

最後に一つ疑問があるんです。裄野 條さんがお書きになった「カラヤン幻想」という本の中に面白い解釈が出ているのですが、カラヤンが有名なヴァイオリン協奏曲をムターと録音していくプロジェクトにおいて、なぜ、このチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲 だけはベルリン・フィルではなく、ウィーン・フィルだったのか。ということです。ベートーヴェンブラームスメンデルスゾーンモーツァルトブルッフといった協奏曲はすべてベルリン・フィルと録音しています。ベートーヴェンの協奏曲はデジタル録音ではありませんが、その代わりなのかはわかりませんが、カラヤンの遺産シリーズでDVDやブルーレイで80年代に撮り直していますね。しかし、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は1985年の演奏会までムターと一度も演奏していないんです。一時期、「カラヤンに、自分のもとから離れて仕事をした方がいいと言われた」とムターがインタビューの中で述べていたことがありました。色々な意味で、カラヤンはムターを突き放したのだとは思いますが、自分との解釈の違いが生じてきて、お互いちょっと距離をとった方がいいと感じた結果、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲をベルリン・フィルと演奏する機会がなくなってしまったのか、はたまた、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲に関してはムターとの解釈が全く折り合いがつかないので手をつけなかったか‥‥。もし、ムターの解釈と折り合いがつけられないということであれば、このライヴ録音の演奏は、カラヤンの好みのテンポやニュアンスではないということになりますが、過去の演奏と比較するとそんなことはなさそうな気もしますね。

個人的には、もともとベルリン・フィルとの演奏会でも取り上げていなかった曲なので、カラヤン自身が好きではない曲、あるいは嫌な思い出があり、やりたくなくなってしまった曲なのではないかと考えています。この曲にベルリン・フィルの音色があわないはずもなく、問題は外にあるのではなく、カラヤン自身にあったのではないでしょうか。聴く機会があったら(あるわけないのですが‥‥)聴いてみたい謎のひとつです。

とりとめもない思いを語ってしまいました。

 

歌劇の題名

最近、急にある歌劇(正式には「楽劇」)が聴きたくなり、普段はあまり行かない中古CDショップへふらりと立ち寄ると、なんと、聴きたかったCDがとてもきれいな状態で売っていたんです。もちろん、即、購入しました。そのCDがこちらです。

          

もうこのCDは廃盤になって久しいので、フリップケースがかなりボロボロの状態で店頭に並んではいるのですが、きれいな状態で売っているのは今まで見かけませんでした。ところが、今回、まず見た目が綺麗でビックリして手にしてみると、帯までついていました。別に帯はなくても問題はないのですが、それだけ保存状態がよかったということですね。とってもハッピーな気分になりました♫

この作品は聴くのに長時間かかるので、その感想はまた今度綴ることにして、このCDのジャケットを見ていてふと思ったことがありました。

         楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー

普通に聴きなれた楽劇、曲の名前ですよね。しかし、私、中学生だったころ、この曲で勘違いをしたことがあったんです。その当時は、図書館でレコードを借りては色々な曲を聴いてました。もちろんその当時から「ニュルンベルクのマイスタージンガー」は知っていました。また、ワーグナーがその当時から好きだったので、ワーグナーの他の歌劇や作品もそれなりに知っていました。ところが、ある日、1枚のレコードが目に飛び込んできたんです。それが、クレンペラー指揮の゛「ニュルンベルクの名歌手」第1幕への前奏曲”とジャケットに書かれていレコード。おそらく高校生、大学生であれば、こんな勘違いはしなかったと思いますが、なにせ英語を学びたての中学1年生であったこともあり、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」と名前は似ているが、違う楽劇もあったんだ!と喜び勇んで、そのレコードを借りて、すぐさま家で再生しました。すると、例の「ちゃぁ~ん、ちゃぁ~、ちゃぁ、ちゃぁ~ん」のあのテーマが流れてきました。その時、「マイスタージンガー」と「名歌手」は同じ意味なんだ‥‥。と理解したわけです。まあ、「マイスタージンガー」はドイツ語なので、英語を習っていてもうまく理解がつながらないかもしれませんが、「ジンガー」=「シンガー」くらいは冷静に考えればわかりそうなものですよね。自分がちょっと恥ずかしくなりました。

このCDを眺めていて、ふと、そんな思い出が蘇ったのですが、よく考えると「ニュルンベルクのマイスタージンガー」は「の」という日本語は入ってますが、ほぼ原題のまま認知されていますよね。それは他にも「トリスタンとイゾルデ」や、「ぺレアスとメリザンド」もそうでが、ほぼ原題のままの歌劇や楽劇は基本的に人名や地名のものが多いと思うんです。「カルメン」、「ドン・ジョバンニ」、「トスカ」、「ファルスタッフ」などは固有名詞なので、特に日本語に訳す必要はないですよね。無理に訳すと、作曲家のバッハは「小川さん」と訳さなければいけなくなりますからね。

一方で、きちんと日本語に訳されているものも多くあります。例えば「フィガロの結婚」、「魔笛」、「薔薇の騎士」、「蝶々夫人」、「運命の力」、「神々の黄昏」。人名が入るものもありますが、日本語として理解できる題名になっています。

ところが、今回の「ニュルンベルクのマイスタージンガー」はどうでしょう?「マイスタージンガー」はドイツ語のままでいいでしょうか?有名な歌劇で、なぜか日本語の訳ではなく、原題のまま広まっている歌劇がいくつかありますよね。例えば「ラ・ボエーム」。プッチーニの有名な歌劇ですが、「ボエーム」とは文学青年や若き芸術家のことを意味しているそうです。確かに、登場人物は詩人・画家・音楽家・哲学家などが中心人物として描かれていますね。でも「ボエーム」のまま知られています。また、「カヴァレリア・ルスティカーナ」も原題のまま知られているマスカーニの代表作ですね。「田舎の騎士道」といった意味だそうです。レハールの「メリー・ウィドウ」も「陽気な未亡人」という意味だそうですが、英語の題名で広まっています。(この作品は原題はドイツ語のようですね)

さて、ここにあげた4つの作品。なぜ日本語としての題名になっていないのでしょうか?日本語に直さないと意味が分からない題名だと思うのですが、そのままになっています。では、もういちど原題と日本語訳を比較してみましょう。

ニュルンベルクのマイスタージンガー」→「ニュルンベルクの名歌手」

ラ・ボエーム」→「若き芸術家集団」

「カヴァレリア・ルスティカーナ」→「田舎の騎士道」

メリー・ウィドウ」→「陽気な未亡人」

どうですか、単純に日本語にすると格好悪くなっていませんか?慣れで、原題の方がいいと刷り込まれているかもしれませんが、変に日本語訳に直されているよりも、そのままの方が響きとしてもカッコいいと感じるのはわたしだけでしょうか?(そういう意味で言えば、ワーグナーの「神々の黄昏」も原題「ゲッターデンメルング」の方がカッコいいかもしれませんが)なんとなく、訳してみて、しっくりこなかった場合、そのままの題名として紹介されているのかもしれませんね。

今回は、ふと、日本語訳されている歌劇とそうでない歌劇のことを考えてしまいました。音楽の中身とは全く縁遠い話ですみませんでした。おそらく、他にも日本語訳になっていないそのままでは意味がとりづらい題名の曲があると思います。もし、他に思いつきましたら、是非教えて下さいね。

 

大学入試でもクラシック♫

大学入試の季節になりましたね。全国の受験生のみなさん、体調管理に気を付けて、本番でベストの力を出せるように頑張ってくださいね!

さて、今年の大学入学共通テストの国語の問題をご覧になった方はいらっしゃるでしょうか?例年の大学入学共通テスト(自分の頃はセンター試験と言っていました)は1問目が評論文(現代文)・2問目が小説(現代文)・3問目が古文・4問目が漢文という構成になっています。なんと、今年の第1問目の評論文の問題の出だしが、「モーツァルトの没後200年」というものでした。そして、モーツァルトの「レクィエム」、ゲオルグショルティウィーン・フィルという用語が登場しました。自分が受験生だったら、かなりリラックスして試験に臨めたのではないかと思います。自分の好きなジャンルの文章は嬉しいものですよね。

この文章を読むことで、まさに書かれている、モーツァルト没後200年にシュテファン大聖堂で行われたショルティ指揮、ウィーン・フィルのレクィエムの演奏を思い出しました。これは1991年のことでした。カラヤンが亡くなった2年後、バーンスタインが亡くなった1年後でした。個人的にはショルティはあまり得意な指揮者ではなかったので、このモーツァルトイヤーにカラヤンバーンスタインが生きていてくれたら、このミサを担当してくれていたのかなぁ?などと思っていました。アバドはこの時、ベルリン・フィルのシェフとして活躍していて無理かな?ムーティミラノ・スカラ座音楽監督で忙しいかな?と音楽界の勢力図を色々と思い浮かべていた記憶があります。あまり得意ではないと書きましたが、ショルティはもう長くウィーン・フィルと関係を持っていて、カラヤンが亡くなった直後にもヴェルディの歌劇「仮面舞踏会」の指揮を急遽引き受けて、ウィーン国立歌劇場での公演を成功に導いているので、こういったミサの大役を任されても、おかしくない、素晴らしい指揮者だと思います。この様子をビデオで録画して何度も観ていました。問題文にもこの様子がLD(レーザーディスク)として発売されたと記されているんですよ。自分は買いませんでしたが、「しっかり観てましたよ!」と思わず心の中で叫んでしまいました。この演奏を収めたCDはこちらです。

                 

この演奏は、演奏そのものというよりは宗教行事としてのミサを味わうのにもってこいだと思います(ミサの雰囲気を味わうということであれば、カラヤンヨハネ・パウロ2世により挙行されたミサで、戴冠ミサ曲を長い儀式の中で奏でているものもいいと思います。そのことはまた後日、綴ろうと思います)。荘厳な雰囲気を味わえ、一味違ったレクィエムに感じられるのではないでしょうか。

この他に、入試や模擬試験で出題された文章をちょっと確認してみたら、「コンサートマスター」、「カラヤン」といったワードも発見できました。こんなに同じような時期にクラシックのワードを発見したことはなかったのでちょっとびっくりです。読んでみるものですね。

今回は、違った意味でのクラシックの楽しさを綴ってみました。今年はクラシック音楽に関する当たり年になるといいですね。ちょっと期待してしまいました(私の勝手な妄想です)♫

 

「さよならマエストロ」

今回は音楽系のドラマの感想を綴っていきたいと思います。

先週からTBSの日曜劇場で「さよならマエストロ~父と私のアパッショナート~」がスタートしました。昨年は日テレで「リバーサルオーケストラ」というドラマがありましたが、2年連続でオーケストラ&指揮者にスポットがあたった作品が登場しました。

正直言うと、「設定があまり変わらないなぁ」というのが第一印象です。解散の危機を迎えているオーケストラ。(そこにはオケが税金の無駄使いだという政治家がいる)そして、救世主のように現れる、実は有名なマエストロ。メンバーも足らない下手なオーケストラが次第にうまくなり、メンバーも段々と増え、色々な邪魔を潜り抜けて、素晴らしい音楽を奏でていく。「さよならマエストロ」は始まったばかりなので、今後がどうなるかは分かりませんが、今回までの2回分は似たような展開でした。

しかし、今回の「さよならマエストロ」と「リバーサルオーケストラ」と違うのは、指揮者のキャラクターがとてもポジティブであること。理由あって指揮活動をやめていたのですが、音楽への情熱はずっと持ち続けていて、いざ、オーケストラの指導に向き合ったときも明るい!オケにも前向きな優しいマエストロです。「リバーサルオーケストラ」では指揮者が基本的に厳しく、ネガティブ。でも本当は優しいという設定だったと思いますが、今回は真逆のマエストロの設定です。それもそのはず。今回の指揮指導は広上淳一さん。あの陽気なマエストロです。メイキング特集もやっていましたが、とにかく明るく音楽と向き合い、指導していました(私はとっても好きな指揮者さんです)。そういうキャラの設定だからこそ、広上さんに頼んだのだと思います。そして、その広上さんの大師匠といえば、そう、レナード・バーンスタインです。今回のドラマでも、初回冒頭はバーンスタインブルーノ・ワルターの代役として登場し、一躍有名になったというエピソードからスタートしていることを考えると、脚本家の方は、バーンスタインのような明るい、情熱的な指揮者を考えたのかもしれないですね。そんな理由で、マエストロの人柄、音楽性で人が集まってくるというストーリーになっていきそうなので、観ていてとてもホットな気持ちになれました。カラヤンやもっと怖そうな指揮者を想定すると、「リバーサルオーケストラ」で描かれていた指揮者になるのかもしれませんね。

というわけで、今回はドラマの感想になりましたが、初回はベートヴェンの「運命」、今回はロッシーニの「ウィリアム・テル」序曲がメインテーマとなって話が進行していきました。次回は何の曲がメインでくるのかちょっと楽しみです。

 

          

 

ベルリン・フィル日本公演2023演奏会放送

キリル・ペトレンコベルリン・フィルの日本公演の模様が放送されました。ご覧になられた方も多いのではないでしょうか。速報ではありませんが、今しがた観た放送の感想をさっと述べていきたいと思います。

正直に言うと、ペトレンコという指揮者はあまり聴いたことがなく、ベルリン・フィルのラトルの後継者として発表された時は驚きました。録音もあまりしていないとのことだったので、CDも持っていません。映像といってもほとんど見たことのない方でした。そんなペトレンコとのベルリン・フィルの演奏、どんな感じになるのか、かなり楽しみでした♫

本日放送されたプログラムは

1.モーツァルト交響曲第29番

2.ベルク:管弦楽のための3つの小品

3.ブラームス交響曲第4番

でした。

1曲目のモーツァルト。そう、カラヤンが最後の来日公演でチャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」とのプログラムで演奏した曲です。以前、私の記事でも紹介しましたが、カラヤンが恐らく好きだった交響曲だと思われます。その曲を初来日公演でぶつけてくるとはかなり衝撃的です。演奏スタイルはピリオド奏法とまでは言わないまでも、アクセントがやや強めで、輪郭をはっきりとさせるスタイルだったと思います。ビブラートも控えめで、奏者によっては長い音をノンビブラートで演奏していました(ピリオド奏法で演奏する場合、ビブラートをかける人とかけない人がいて、いつも不思議に思います。どちらかに統一しないのですかね?それとも、かけないと決めていてもついいつもの癖でかけてしまうのか。今度知り合いの演奏家に聞いてみようと思います)。なので音がかなりきつく聴こえてくる部分がありました。また、ダイナミックスレンジをものすごく意識した演奏だったと思います。ppからffまで、またクレッシェンドなどとても幅がありました。聴きようによっては大げさに感じる人もいたかもしれませんね。カラヤンと比べると、カラヤンの方がダイナミックスレンジはないのですが、オケの圧力と言いますか、音楽の内面の部分から迫ってくるような豊潤さが感じられたのですが、ペトレンコはそういったアプローチではなく、楽譜に忠実なすっきりとしたモーツァルトといった印象です。3楽章は私の理想よりかなり速いテンポでした。確か、バーンスタインも似たようなテンポだった気もするので、今回のペトレンコのテンポが一般的なのかもしれません。4楽章はattacca(3楽章と切れ目なく)のような感じで突入していました。テンポも少し速めでしたが、この楽章はピリオド奏法的な感じと、爽快感があいまって、よかったと思います。

全体的にはカラヤンベルリン・フィルの1988年の演奏とは(当然と言えば当然ですが)全く違う響きの面白い演奏だったと思います。

2曲目のベルク。やはりベルリン・フィルの管楽器はうまいですね。トロンボーンはハイトーンを綺麗に演奏していました(奏者にとってはとんでもなく嫌な部分だと思います)。モーツァルトとは正反対の現代音楽ですが、ペトレンコの明確なタクトさばきとあっている曲なんだと思いました。不協和音が不協和音としてきちんと聴こえてきました。しかも嫌な不協和音ではなくです。カラヤンもこの曲を演奏、録音していますが、いかに綺麗に不協和音を響かすか(難しい表現ですね)を課題としていたそうですが、そういうアプローチではなく、しっかりと美しい和音とそうでない部分の作り分けをしていたと思います。しかしながら、ベルリン・フィルサウンドの素晴らしさが加わり、不協和音が耳に痛くなり過ぎずに聴こえてきたと思います。

各楽章の弦楽器のソロも良かったと思います。この曲でも、ダイナミックスレンジの幅が広くとられていて、とてもメリハリのある演奏だったともいます。現代音楽は一歩間違えると何をやっているのか分からなくなってしまい、何をやっているのかが分からないことをよしとする人もいるようですが、個人的には、何をやっているか分からないのはどの時代の曲でもよくないと思っています。現代音楽が苦手な人でもある程度きちんと聴ける名演だったのではないでしょうか(実は私は現代音楽はあまり得意ではないんです♫)。

3曲目のブラームス。部分的には昨年末のハイライトなどで流れていました。

1楽章の出だしはとてもしなやかで素晴らしかったです。ここで触れておきたいのはペトレンコの指揮ぶり。基本的にはガッシりと振るタイプだと思っていました。少しだけ指揮姿を見た時には力強く、顔を真っ赤にして激しめに指揮していたので、ムーティの若かりし頃とはまた違った力強い指揮者だと思い込んでいましたが、意外にしなやかなタクトさばきも見せていて、時には振るのをやめて、と思ったら、指揮棒を上から振りかざしたりと、指揮自体もメリハリのある振り方なんだと思いました。結果、そのメリハリが曲にも表れていたと思います。リズム、テンポを非常に意識した曲作りだったと思います。急にレガートでびっくりするところもありましたけど。

2楽章はとにかく抑えていましたね。あまり大きな指揮はせず、左手で盛り上がりそうなベルリン・フィルを制止する場面がありました。大きなフレーズで曲を流していこうとする姿勢が随所に伺われました。この楽章ではモーツァルトと違い、たっぷりとビブラートでうたわせていました。後半のティンパニのクレッシェンドを強調しているのが面白かったです。

3楽章は予想通りのハイテンポ。指揮ぶりも、こめかみの血管が切れんばかりの大振りでオーケストラをリードしていました。後でも述べますが、男っぽい強い響きのする楽章だったと思います。この楽章はリズムをはっきりと打ち出し縦の音楽を堂々と創り出していました。それとは対照的に中間部のホルンのメロディーは甘くて素晴らしかったです。主席のシュテファン・ドールが美しく奏でていました。

4楽章。あれだけ盛り上がって終わった3楽章の後、どんな音を出すのかと耳を澄ましていると、抑え気味にトロンボーンをメインとした金管の丁寧な和音で始まりました。大きめに勢いだけで始まってしまう演奏も多々ありますが、実際の演奏会で、あの高揚した3楽章のあと、落ち着て寂しげな和音を創り出せるところはさすがと思いました。この楽章でも力強さは健在で、左手のこぶしを握り締めて、強く抜けない音を要求していました。その分、後半の静かな部分の音量の小ささがより引き立っていました。小さい音でも、決して弓を短く使うのではなく、比較的きちんと弾きながらも小さな音を出していたように思います。バランスも良く、力強くも、一音一音聴きとれるコントロールの聴いた名演だったと思います。

アンコールはなかったですね。

全体的にですが、このジェンダーレスな時代にふさわしくない言い方かもしれませんが、非常に男性的な強い音をベルリン・フィルから引き出していたのではないかと思います。ペトレンコの髭をたくわえた風貌に影響されている部分もあるかもしれませんが、前任者のラトルにはなかった響きだと思います。アバドブラームスも響きが重く、好きでしたが、その響きでもない。より直線的な音で攻めてくる感じがします。カラヤンのゴージャスなサウンドともまた違った強い響きです。カラヤンは音が煌びやかでなおかつ太いサウンドがしますが、ペトレンコは飾り気を排除して一本の筋をきちんと通して音を構築している感じがしました。それにしても、あれだけ激しく振って、体力があるなぁと脱帽です。放送を見ていると、自分の知っているメンバーがまだ演奏していましたが、新たな響きのベルリン・フィルを聴くことができたと思います。今後、どんな曲を取り上げて私たちに聴かせてくれるか楽しみですね。

今日の午後はこの演奏と比較のため、カラヤン最晩年のブラームス交響曲第4番を聴いていました。そのCDがこちら。

               

この演奏は何度聴いても飽きないです。今後、ブラームス交響曲の聴き比べやベスト盤の紹介もしていきたいと思います。

ニューイヤーコンサートのプログラム

今日は連休最終日ですね。明日からしっかり仕事モードにギアを入れ替えないと。

先程、録画しておいた2024年のウィーン・フィルニューイヤーコンサートを聴き(観)終わりました。指揮はクリスティアンティーレマン。個人的にはそれほど好きな指揮者ではないのですが、ムジークフェラインの聴衆は大興奮だったようですね。いつも以上に聴衆からの声が聴こえてきた気がします。とてもいい雰囲気のコンサートだったのでしょうね。特に今回はブルックナーの生誕200年にあたる年なので、ニューイヤーコンサート初のブルックナー作品が登場したことが大きな話題だったのではないかと思います。実際、ブルックナーの曲を聴いてみると、あの重厚さは微塵も感じられない、軽いコンサートや舞踏会にはぴったりの曲でした。とてもいい選曲だったのではないでしょうか。NHKの放送ではブルックナーの私生活の部分も少し解説していたので、このような踊れる曲を作ったことにも合点がいきました。

さて、今回は、ニューイヤーコンサートの曲目についての話です。ワルツ「美しく青きドナウ」と「ラデツキー行進曲」がアンコールとして毎回演奏されるのはご存知だと思います。これは伝統としてありですよね。それ以外のコンサートの曲は指揮者と楽団が色々と相談をして決めています。その事はコンサート前の解説やCD等のライナーでも説明されています。その年の記念になる作曲家を選んだり、初演奏の曲を多く並べてみたり、メストのようにヨーゼフ・シュトラウスにこだわってみたりと趣向を凝らしていると思います。シュトラウス一家のある種似たような音楽の中から色々な違いを味わってもらおうと考えているのだと思います。なので、ここ10年くらいの演奏曲目を見てみると、知らない曲がかなり多いなぁという印象を受けます。もしかすると、この後聴くことないワルツやポルカがあるかもしれませんね。

そこで、ふと、私の所有しているニューイヤーコンサートのCD、DVD等の曲を眺めてました。CDの収録曲に関しては、昔の記事でもアップしましたので、よろしければお読みください。(2021年12月の記事です)

指揮者の契約しているレコード会社からそれぞれニューイヤーコンサートのCDがリリースされているわけですが、ここ20年くらいはコンサートの1部、2部全て収録されたCDが販売されるようになりました。1980年代~90年代初めのカラヤンアバドクライバーが指揮をしたコンサートのCDは全曲ではなく、12曲~15曲くらい収録されています。テレビでのニューイヤーコンサートの放送は第2部からの約1時間半ほどでしたが、次第に第1部から放送するようになり、2時間~3時間放送してくれるようになりました。(衛星放送では1部から、HNKの普通の放送では2部からという感じだったと思います)というわけで、カラヤンアバドニューイヤーコンサートのCDはハイライト盤のような感じなんです。クライバーは後になって、全曲収録のCDが発売されましたね。しかもカラヤンの1987年のCDは曲順も入れ替えてあるので、「コンサートをそのままに!」というわけにはいかない内容になっています。でも、演奏は素晴らしいし、臨場感もバッチりです。(全てを有りのままに体験したいという願望とは少しずれてしまうというだけです。)

ちなみに、私が所有しているCDはカラヤンアバド2枚です。

      

間の89年はクライバーが、90年はズービン・メータが指揮を務めていたと思います。カラヤン以前はロリン・マゼールが長い間指揮を任されていましたね。マゼールのコンサートの完全版も私は現時点では見たことがありません。ダイジェスト版はたまに中古CD店で見かけます。

これらのCDとDVD、あわせてクライバーの1989年と1992年のDVDで曲を確認してみたところ、結構数年の間で曲がかぶっているんです。

まず。喜歌劇「こうもり」序曲。1987年カラヤン・1988年アバド・1989年クライバーと3年連続で取り上げられています。

「ピッチカート・ポルカ」とワルツ「春の声」は1987年カラヤン・1989年クライバー

「新ピッチカート・ポルカ」は1988年アバド・1992年クライバー

「常動曲」は1987年カラヤン・1988年アバド

皇帝円舞曲」は1987年カラヤン・1991年アバド

「トリッチ・トラッチ・ポルカ」は1988年アバド・1992年クライバー(1990年メータもやっていた気がします)

そして、カラヤンが取り上げた曲と1992年にクライバーが取り上げた曲。ものすごくだぶっているんです。

ポルカ「観光列車」

喜歌劇「ジプシー男爵」序曲

ワルツ「天体の音楽」

ポルカ「雷鳴と電光」

アンコールの2曲を入れると、全プログラム中6曲が同じ。かなり意図的だと思いませんか?クライバーはものすごくカラヤンことを尊敬していたようです。カラヤンもまたクライバーの才能を高く評価していましたが、「彼は冷蔵庫の中身がなくならないと指揮をしてくれないから」と自分の後釜には据えたいけれど据えられないと思っていたようですが、お互い心を許し合っていた仲のようです。2人とも気難し人物で有名ですから、その2人の仲がいいというのも面白いですね。ですから、このニューイヤーコンサートはある種、カラヤンへのオマージュなのではないかと勝手に思っています。

というわけで、私の比較的好きな指揮者3名のニューイヤーコンサートの曲目を調査した結果、これほど曲がかぶっていることが分かりました。かぶっているという考え方もできますが、もしかすると、多くの人が知っていて、ニューイヤーコンサートに聴きたいと思っている曲がこの5年間くらいに集中したのかもしれませんね。いわば王道中の王道のシュトラウスの曲なわけです。演奏する側にとっては意外とリスキーですよね。みんなが知っているのであれば、ミス1つできない。そんな曲を堂々とプログラムに組める、素晴らしい指揮者たちだったのでしょう(決して、最近指揮を担当している指揮者がダメだと言いたいわけではありません)。

そして、来年の指揮者は再びリッカルド・ムーティが担当すると発表がありました。ムーティなら、王道プログラムもありでは?と勝手な想像を膨らましております。