karajanjanの日記

カラヤンについて語りましょう

おとなのEテレタイムマシン

4月からテレビ番組が色々と変わりましたね。なかなかひとつひとつチェックはできないですよね。そんな中、NHKEテレの22時~22時50分から「おとなのEテレタイムマシン」という番組がふと目に飛び込んできました。この番組のタイトルだけでは何の番組だかよく分からなかったので、テレビの「番組表」の機能でこの番組を検索してみると、N響の昔の演奏を放送してくれる番組であることがわかりました。(火曜日の夜にもこの番組がありますが、そちらは主に落語のようですね)

第1回目の放送は、ポリーニソリストに迎えてのブラームスのピアノ協奏曲第1番(指揮:ウォルフガング・サヴァリッシュ)でした。ポリーニが最近亡くなったこともあり、追悼番組的な面もあったかと思います。若かりしポリーニサヴァリッシュが熱演を繰り広げていました。この曲はとにかくスケールが大きく、エネルギッシュなので、どうしてもオケが前に行こうとしてしまうようです。それをサヴァリッシュが必死に(?)抑えているように感じられてとても面白い演奏でした。テンポをなんとかこらえようとしている分、パワーがたまった演奏になるといいましょうか、熱のこもった演奏でした。この時のN響サウンドは今よりもかなり重たい気がします。(ブラームスのピアノ協奏曲第1番については、グールドとバーンスタインに関しての記事を書いていますので、よろしければそちらもお読みください!)

第2回目の昨日は、ヴァーツラフ・ノイマン指揮で、スメタナの連作交響詩「わが祖国」から「高い城」、「モルダウ」、「ブラニーク」が放送されました。

            

指揮者のノイマンチェコの指揮者です。クーベリックとならんで、チェコの名指揮者です。私はノイマンN響ドヴォルザーク交響曲第8番を聴いて感動し、すぐにノイマンチェコ・フィルのCDを買いに行ったのを今でもよく覚えています。ノイマンの優雅な指揮ぶり、大きな音楽づくりがとても印象に残りました。今回放送された「わが祖国」は、かつて観た記憶があります。放送された当時も「ノイマンスメタナだ!」とかなり期待して聴いていました。あの頃のことが色々と思い出される名演でした!「

モルダウ」はカラヤンよりもノイマンの音楽づくりの方が好きかもしれません♪

3月まではクラシック番組というと、NHKEテレで木曜日21時~の「クラシックTV」、日曜日21時~「クラシック音楽館」、NHKBSで日曜日23時20分~「プレミアムシアター」でしたが、この4月から土曜日22時~「おとなのEテレタイムマシン」が加わり楽しみが増えました。「クラシック音楽館」や「プレミアムシアター」はどちらかというと最近の演奏会が放映されていますが、この「おとなのEテレタイムマシン」は過去の貴重な映像を中心に放送してくれるようなので、個人的にとっても楽しみです。見逃した演奏、録画し忘れた演奏などが見られると思うとワクワクします。来週は中村紘子さんのチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番だそうです。基本的にN響の演奏が放送されると思いますが、NHKホール、またはNHKがかかわった海外オーケストラの貴重映像もそのうち放映してくれないかなと思っています。ただ、放送枠が50分なので、演奏会まるまる流してはくれなそうですね。

そういえば、ノイマンドヴォルザーク交響曲を観ていた頃、「N響のアワー」というクラシック音楽番組は土曜日の20時から放送していたような気がします。それが曜日、時間の変更を経て、「N響アワー」は終わってしまいました。とても残念に思っていたので、「N響アワー」の復活のような気もしてきました。

皆さんも是非、観てみてください♫

 

Happy Birthday カラヤン!

4月に入りました。新年度がスタートしましたね。お天気がちょっとぐずついていますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?

さて、本日、4月5日はマエストロ、カラヤンの誕生日です。今年は生誕116年です。キリが良くないので特にイベントはないようです。

今日は小品の聴き比べです。この2枚のCDを久しぶりにゆったりと聴いてみました。

           

こういった小品をゴージャスに、手を抜くことなく華麗に仕上げるカラヤンの凄さは色々なところで語られますよね。私も本当にそうだと思います。やっつけで録音(したかもしれませんが)とは思えないクオリティーですよね。

黄色い帯のドイツ・グラモフォン版と赤い帯の東芝EMI版。録音は前者が1967年、後者が1980年、1981年。約15年後の録音になっています。曲目もかなりかぶっています。

歌劇「タイス」の瞑想曲(マスネ)、歌劇「ノートルダム」間奏曲(シュミット)、歌劇「修道女アンジェリカ」間奏曲(プッチーニ)、歌劇「マノン・レスコー」間奏曲(プッチーニ)、歌劇「友人フリッツ」間奏曲(マスカーニ)

カラヤンはこのCDの他にもこういった間奏曲をレコーディングしています。カラヤン自身がオペラの中のこういった美しい曲がとても好きなのでしょうね。コンサートでも間奏曲をよく取り上げていたと思います。1978年のジルヴェスターコンサートでは歌劇「友人フリッツ」間奏曲を、1985年のジルヴェスターコンサートでは歌劇「道化師」間奏曲(レオンカヴァルロ)、歌劇「マノン・レスコー」間奏曲を演奏しています。

私はそんな間奏曲の中では「マノン・レスコー」の間奏曲が大好きです。曲のダイナミックな盛り上がりがカラヤンにぴったりだし、カラヤンもその期待に見事に応えてくれる演奏をしていると思います。たった5分程度の曲ですが、実にドラマチックです。CDの音だけを聴いてもこの音楽の素晴らしさを満喫できるのですが、ジルベスターコンサートでの映像をみると、カラヤンの指揮にベルリン・フィルの奏でる音がまるで吸い付くように思えるのはわたしだけでしょうか?カラヤンとオケの一体感がものすごく味わえる曲ではないかと思います。

この「マノン・レスコー」間奏曲で昔から思っていることがあるんです。この曲の最後の部分。大きな盛り上がりの後、静かに曲を終えていくのですが、この静かになった部分が「スターウォーズ」のテーマそっくりなんです♫ 初めて聴いた時はビックリしました。でもよく考えてみると、こちらの曲の方がはるか昔から存在しているわけです。「スターウォーズ」はこのブログでも取り上げましたが、そう、あのジョン・ウィリアムズが作曲したわけです。もしかしたら、ジョン・ウィリアムズがこの「マノン・レスコー」からヒントを得て「スターウォーズ」のテーマが完成したのかもしれませんね。昔はいいメロディーは「○○の主題による変奏曲」と言った具合によく引用されていました。和歌の世界でも「本歌取り」といって、自分が素晴らしいと思った和歌の一部分(時には大部分)を引用して、一首詠んでいました。昔は著作権など関係なかったのでこういった行為が普通に行われて、芸術が深まっていったのかもしれません。色々な意味で東西問わず、昔は寛容だったのでしょう。(決して著作権を批判したいわけではありません)

マノン・レスコー」から「スターウォーズ」へ。プッチーニからジョン・ウィリアムズへ。素晴らしい芸術が受け継がれたのではないでしょうか。

カラヤンの誕生日とは話題がだいぶ飛んでしまいましたね。

カラヤンのバルトーク

ここのところ、小澤さんの追悼番組が色々と組まれていますね。昨日もEテレで1993年に放送された特集を放映してました。その中で、小澤さんが「バルトークカラヤン先生の得意な曲で、その当時よくベルリン・フィルとよく演奏していた。なので、自分にもバルトークに挑戦するようにとプログラムに入れてくれた」というようなエピソードを語っていました。確かに、カラヤンバルトークは結構話題になっているような気がします。最近はバルトークを全然聴いていなかったので、改めて聴き直してみました。

私が所有しているカラヤンバルトークは以下のCDです。

            

曲は「管弦楽のための協奏曲」です。ドイツ・グラモフォンの演奏が1965年、イエス・キリスト教会での録音。東芝EMIの演奏が1974年、ベルリン・フィルのホールでの録音です。いずれもオーケストラはベルリン・フィルです。

演奏時間に関してはほぼ変わりません。(最初がグラモフォン、後がEMI)

1.序章        10:03      9:51

2.対の遊び      6:45   6:47

3.悲歌        8:10   8:07

4.中断された間奏曲  4:15   4:22

5.フィナーレ     9:18   9:13

といった具合です。

個人的な印象ですが、1.序章は、旧録音の方が秒数の差よりもゆったり聴こえる気がします。

どちらの演奏がいいかは本当に好みの問題になるかと思われます。私は響きがより豊潤な感じのする旧録音の方をお勧めします。新録音は実に細部まで聴きとることができる演奏です。その分、世界観が少し狭くなっているような気がします(でも、演奏技術などは物凄いですよ♫)。ちょっときれいさっぱりまとまり過ぎてしまったのかな?と感じます。完璧に近づくと、温かさなどが感じ取りづらくなる。コンクリートの建物は素晴らしいけど、多少欠陥があっても、木造の建物に比べたら冷たくて、魅力が減ってしまうなんていう話も耳にしますが(決してコンクリートの建物が悪いわけではありませんよ)、それと同じかもしれませんね。旧録音の方が全体的に熱量を感じる気がします。

録音場所の違いも聴く印象を大きく変えているかもしれません。ベルリン・フィルのホールで録音をするようになり、理想の音響のもとで録音でき、リスナーも同じ理想の響きと感じ取れた演奏もあれば、ホールの録音に違和感を覚えて方もいることでしょう。70年代中盤のホールでの演奏は、私は「やや管楽器が遠く鳴っているなぁ」と感じることがあります。まあ、ミキシングでいかようにも変えることはできるので、ホールだから遠く聴こえるわけではなく、カラヤンの好みの遠さなのかもしれませんが、トランペットとトロンボーンは最初と最後の楽章でもっと前面に立って聴こえてきて欲しいかなと思います。旧録音は自分にとっては実に心地よいダイナミックスレンジになっていると思います。

2.対の遊びでも、打楽器の響きが旧録音の方がより鮮明に響いて聴こえてくる気がします。スネアの音が実にリアルです。新録音はちょっと音がこもっているというか、やはり若干遠いのかな?と感じてしまいます。

3.悲歌は旧録音の方が重たいです。楽章の題名通りですかね。低音がビンビン響いてきます。そして、「タタタタ~」と4つ音が並ぶフレーズを実に丁寧に(若干ゆっくりにして)演奏しています。これは小澤征爾さんがタングルウッド音楽祭の指導の中で生徒たちにレクチャーしていたことなのですが、「ハンガリー語は基本的に語の頭にアクセントが来るから、音が並んだ時に、1つ目の音に重きを置かないとバルトークらしくならない」と仰っていました。まさに、そのことが行われている演奏ではないかと思います。1個目の音が重く、とても丁寧です。新録音はこの音型が悪く言うと流れてしまっています。スマートに音楽が流れ過ぎていると言えばいいでしょうか。

4.中断された間奏曲、これは新録音の方が明るさが出ているかもしれません。旧録音は重厚で素晴らしいのですが、もうちょっとユーモアの要素があった方がいいかもしれません。ショスタコーヴィッチの曲をちょっとパロディ化したと言われている楽章なのですが、グリッサンドや茶化したような和音にまじめさがつきまとっていて、硬い感じがします。それが新録音の方はだいぶ柔らかくなっているように感じられました。でももっと遊んでもいい部分ではないかと思います。これはカラヤンの生真面目さが影響しているのでしょう。マーラーの柔らかい楽章(例えば9番の2楽章など)でも遊びきれていない音楽になっている気がします(ここはさすがにバーンスタインの遊び心に軍配が上がる気がします)。旧録音はちょっとシベリウスの「トゥウネラの白鳥」のようなワールドに聴こえてしまうかもしれませんね。

5.フィナーレはどちらの録音も素晴らしいです。スピード感といい圧力と言い文句のつけようがない演奏ではないかと思います。ただ、新録音のトランペットソロが不安定です。でも、ここは難しいんです。音が飛ぶし、低い音も吹かなければいけない。トランペットとしては中音域から高音域にかけてのソロは比較的やりやすい。でも低音が絡んで跳躍があるといっきに難しくなります。この楽章のソロは低音から高音までムラなく吹かなければいけない難しいソロなんです。それを知っていれば許容範囲なのですが、ソロに入って聴き入っていると、音程の不安定さで一瞬「あっ!」と思ってしまいます。それに比べると、旧録音は安心して聴くことができます。曲の終わりも、新録音の方はリタルダントなどあまりかけずに、さらっと終わってしまいます。もう少し粘ってもいいのにと思ってしまいます。旧録音もそれほどテンポを変えるわけではありませんが、こちらの方が「曲が終わった♫」と思えるテンポどりをしているように聴こえました。

ということで、全体的に旧録音の方が内面的に充実しているのではないかと感じた次第です。ちょっと濃厚目な感じのケーキがいいか、甘さ控えめのあっさりとした口当たりのケーキがいいか。その違いかもしれませんね。

ここまで、カラヤンの「管弦楽のための協奏曲」について綴ってきましたが、私は小澤さんのバルトークがとても好きです。

               

もともとこの「管弦楽のための協奏曲」はクーセヴィツキがボストン交響楽団にために作曲するよう依頼した曲ということもあり、ボストン交響楽団の演奏がとてもはまっている気がします。スピード感、構成力(4楽章のパロディのおちゃらけもばっちりだと思います)、技術、どれをとってもいいのではないかと思います。カラヤンの演奏だけでなく、この演奏も是非、聴いてみてください。

 

ソリストと指揮者との意見の相違

皆さんはこの演奏をご存知でしょうか?

              

ブラームスのピアノ協奏曲第1番です。この曲自体に問題はないんです。

今回は「ソリストと指揮者との意見の相違」と題して綴ろうと思うのですが、よく考えれば、指揮者とソリストという異なる2人のアーティストの解釈が全く同じということはあり得ないでしょう。稀に2人の意見がほぼ一致して、統一感のある息ぴったりの協奏曲が繰り広げられることもありますが、個性がぶつかり合って面白い演奏になっているケースは多々あると思います。後者の方が多いのではないでしょうか。

自分も協奏曲の指揮を何度か務めたことがありますが、だいたいは力関係でテンポやニュアンスが決まっていきます。もちろんお互いに「ここは○○したい」とか「ここは△△であるべきだ」といった意見交換はリハーサル前の2人での打ち合わせやリハーサル中に行われるのですが、指揮者のキャリアや実力が上であれば、その指揮者の意向に従って音楽は処理されていきます。逆にソリストの方がキャリアや音楽性が勝っているケースであれば、ソリストが全てをリードし始めます(最初は指揮者に寄り添うとか、話し合って決めると言っていても)。しかし、指揮者とソリストがかみ合うと、お互い、いい意味で妥協し合って、そこに2人の価値観がうまくブレンドされた音楽が生まれていくのだと思います。

では、指揮者とソリストの意見が対立して、折り合いがつかない時はどうなるか。1つは、仕事と割り切って、どちらかが自分の解釈を完全に抑えて1つの作品をまとめてしまう。以前、記事に書きましたが、カラヤンが若かりしツィンマーマンとシューマンのピアノ協奏曲をレコーディング。その際、ツィンマーマンと3楽章のテンポが合わず、ツィンマーマンが譲らない。仕方なくカラヤンがあきらめてテンポを緩めてレコーディング終了。という感じでしょうか。言われなければこんなエピソードがあったかどうかわからず、「いい録音ですね」といった感想まで出てしまうくらいです。

そして、もう1つのパターンは、演奏会やレコーディングがキャンセルとなり、共演自体がNGとなるケースです。言わば喧嘩別れですよね(実はこのケース、まあまああるそうです)。まあ、お互いの主張が交わらないなら、こうなるのが実はお互いにとって幸せなのかもしれませんね。この例としては、カラヤンとボゴレリッチの事件があります。これも若かりしボゴレリッチとカラヤンウィーン・フィルチャイコフスキーのピアノ協奏曲で共演が予定されていました。しかし、リハーサルからテンポで噛み合わない。ボゴレリッチはもっと速く!。カラヤンはもっとゆったり。リハーサル終了後、「翌日の演奏会プログラムはボゴレリッチの指の怪我のため、曲目変更」となってしまいました。2人の共演は幻となってしまったのです。ボゴレリッチはアバドロンドン交響楽団とこの曲を録音しました。確かにボゴレリッチは速い。カラヤンのこの曲のテンポはかなり遅めです。ワイセンベルクキーシンでなければ、あのテンポでは弾けないかもしれませんね。

普通はこのどちらかに落ち着くのですが、もうひとつのパターンが冒頭に紹介しましたあのCDの演奏となるわけです。1962年4月、グレン・グールドバーンスタインの世紀の共演なのですが、グールドはかつてない遅いテンポで演奏することをバーンスタインに提案したそうです。バーンスタインも「グールドの提案を受け入れる」と対応はしていたものの、オーケストラとのリハーサル前に「信じられないほど遅いテンポで演奏してみる。このテンポをまじめに受け取る必要がある」とコメントしたそうです。一見、グールドに寄り添ったいいスピーチのように聴こえるかもしれませんが、このコメント、実は酷評を浴びることになります。なぜ、酷評を浴びるのか。それは、「このテンポは私が望んでいるものではない、あくまでピアニストが希望しているからやってみるのです」ということなのです。指揮者が自分の意志でこのテンポをチャレンジするという表明ではなく、グールでの責任において、このテンポにすると、指揮者の解釈上の責任を投げ出したととられたのです。このコメントがオーケストラだけに向けられたのであれば、問題はなかったかもしれません。しかし、バーンスタインはこの演奏会の前に「テンポが遅い正統的ではない演奏を試みる。実は私はグールドの解釈に賛成しているわけではない」という内容の異例のスピーチを観客に対して行ったのです。これは完全に、「演奏がうまくいかなかった場合は、僕の責任ではない」と主張したも同じだと私も思います。いずれにしても、お互いが納得しない状況、仕事だからと割り切ってグールドの主張を受け入れたわけでもなく、演奏会をやめるわけでもなく、納得しないままの状況で演奏を行ってしまうというレアケースがこのCDの演奏というわけです。

確かにテンポは遅い。1楽章は25分48秒、2楽章は13分45秒、3楽章は13分30秒

曲自体、とても重々しく、スケールの大きな協奏曲なので、このテンポでも、それほど気にはならないかもしれません。しかし、当時はこのテンポは規格外の遅さだったようです。では、実際の聴衆の反応はというと、3楽章の終わりを待たずに、最後の和音の途中で聴衆が拍手を始めてしまうほど熱狂していたようです。

若かりしバーンスタインは比較的速めのテンポでスタイリッシュな演奏が多いので、このテンポは考えていなかったことでしょう。

ところが、バーンスタインはこの21年後の1983年11月、ツィンマーマンとこの協奏曲を録音しました。

               

この演奏のテンポは、1楽章24分35秒、2楽章16分28秒、3楽章13分00秒。なんと、演奏時間自体は新録音の方が遅いのです!晩年のバーンスタインのテンポはかなり遅くなっていましたね。それが吉と出る曲と凶と出る曲がありましたが、このピアノ協奏曲に関しては吉と出ているように思います。オーケストラもウィーン・フィルとなり、ブラームスの重厚さがより深く表現されているように思います。私はこの演奏、好きですよ。特に2楽章がたっぷりと演奏され、3分近く遅くなっています。それでもあまり粘っこくは聴こえないと思います。1楽章・3楽章は遅い演奏の部類に入りますが、よく聴き比べてみると、グールドよりは速めのテンポで進行しています。トータルとしては演奏時間が伸びていますが、引き締めるべき1・3楽章のテンポは旧録音よりも前に進んでいる感じです。ツィンマーマン盤の後にグールド盤を聴くと、やはりちょっと遅いかな?と感じます。個人的には新録音の方が好きですね。

この曲の一般的なテンポは、1楽章22分~23分、2楽章13分~14分、3楽章12分、といったところでしょうか。このブレンデルアバドベルリン・フィルの演奏などはオーソドックスかなと思います。

              

というわけで、今回はソリストと指揮者の意見の相違に関して触れてみました。バーンスタインはこのグールドとの一件で、指揮者の責任というものをしっかりと考えたのかもしれません。80年代のウィーン・フィルとのブラームスツィクルスの際、交響曲第3番をかなり遅く演奏する際に、「自分のアイデアとして極めて遅いテンポで実験を試みる」といった声明を出していました。今回は、「指揮者の解釈」というものがはっきりするコメントですよね。まあ、協奏曲ではないので、テンポの決定に関しては、指揮者の責任以外ありえないですもんね。

このピアノ協奏曲第1番は、私の好きなカラヤンは公式な記録上、1度も演奏していません。録音も残してくれませんでした。2番の協奏曲は演奏も録音も残しているのですが‥‥。個人的に、この1番のスケールからすると、カラヤンにとってもあっている気がするので、実演で取り上げて欲しかったです。もしかすると、この曲で、自分の理想とするソリストが見つからなかったのかもしれませんね。

今回はここまで。今晩は音楽番組が目白押し。ドラマ「さよならマエストロ」、クラシック音楽館ではマーラー交響曲第8番「一千人の交響曲」、NHKBSでは小澤征爾ベルリン・フィルの来日公演(カラヤンの代役)が一挙に放送です。先程もNHKで小澤さんの特集を放送していました。今日は音楽DAYですね♫

 

カラヤンの変わったCD&クラシックTV

最近、こんなCDを手に入れました。ネット上ではこのCDがあることは知っていたのですが、実際売られていたので、手にしてみました。

              

このCDは、前半が1977年にフランス国立放送局で放送した、評論家ジャック・シャンセルによるカラヤンについての解説が40分ほど。そして後半がカラヤンブラームス交響曲第1番と2番の解説(解釈?)をピアノを弾きながら対話形式で行っているものが30分ほど。こちらは1964年に実際フランスで放送されたものだそうです。全てフランス語で行われているので、私には何を言っているのかさっぱり分かりませんでした。カラヤンの指揮する曲は一切収録されていません。リハーサルでもなく、楽曲解説というとてもユニークなCDだと思います。

フランス語はさっぱりと書きましたが、何度か聴き直してみると、曲の和音の構成や変化の仕方、リズムの組み合わせの話、フレーズの流れについてなどを説明しているのだろうという見当がつくようになりました。一番面白かったのが、第2交響曲を解説している際に、ヴァイオリン協奏曲のメロディーをいきなり弾きだし、2つの曲の関連性を述べているところです。言葉は分からなくても、音だけでなんとなく伝わってくる。まさに「音楽に国境はない」ということを証明してくれるCDかもしれませんね。今すぐには時間は取れませんが、フランス語を少し勉強して、自分でこの解説の内容を理解できるようになれればと思います。

今回、カラヤンの弾くピアノを聴くことができたわけですが、カラヤンはもともとはピアニストを目指して、子供のころから人前での演奏会などに登場していました。しかし、指揮者の才能を見出され、指揮者の道へと歩み出したわけですが、時より、ピアノを弾いたり、バロック音楽ではチェンバロを弾いたりと、ピアニストの片鱗を覗かせますよね。しかし、ピアニストと違い、毎日練習を重ねているわけではないので、やはり少し心もとない演奏に聴こえることが多々あるように感じます。ですが、指揮者の中にはピアノがとてつもなく上手な方がいますよね。

1人目は言わずもがな、レナード・バーンスタインでしょう。自分でガーシュインの「ラプソディー・イン・ブルー」を弾き振りしてしまいますからね。また、ウィーン・フィルモーツァルトラヴェルのピアノ協奏曲をやってしまいますから、ピアニストとしても十二分にやっていけた人だと思います。

2人目が、同じように協奏曲をこなしてしまうのが、アンドレ・プレヴィンです。この方の奏でるモーツァルトもとても上品でしたね。直接お話しさせて頂いたこともありますが、とても気さくな方でしたよ。

そして、3人目が、ウォルフガング・サヴァリッシュN響で活躍されていたマエストロです。あまりサヴァリッシュが協奏曲を弾いているという話は聴いたことがないのですが、室内楽、歌曲の伴奏をつとめている映像を何度か観て、「スゴイ!」と思いました。指揮姿同様、ピアノを弾く姿も気品があって美しく感じられました。サヴァリッシュのピアノ上手については音楽番組ではかなりとりあげられていた記憶があります。

この方々に比べるとカラヤンのピアノは劣るかもしれませんが、交響曲などをぱっとピアノでアレンジをして弾けてしまうんですから、やっぱり指揮者はすごいですね。

カラヤンについてもう1つ。先日、NHKEテレの「クラシックTV」ではカラヤン特集が組まれていました。30分番組なので、それほど深い内容は取り上げてくれませんでしたが、アシスタントだった高関健さんカラヤンの耳の良さを語っていたのが印象的でした。「オーケストラが一斉に音を鳴らしていても、違う音を鳴らしている人を指摘していた。」とのことです。確かにそのくらいの耳を持っていないと、複雑なスコアを処理できないでしょうね。(私には到底無理です‥‥)

番組内ではカラヤンの音楽よりもかっこよさやスタイリッシュさが前面に出されていて、もっと音楽的な内面に触れて欲しかったという印象があります。しかし、それほどクラシックに詳しくな人たちもかなり視聴していることを考えるとちょうどいい内容だったかもしれませんね。それでも、マーラー交響曲第5番をリハーサルして音量にこだわったり、大太鼓の音質にこだわるシーンが映し出されており、カラヤンの音楽に対する思いを感じ取ることができたように思います。(このマーラーのリハーサルシーンは色々なドキュメンタリーで流されているものなので、目新しいものではありませんでした)そろそろ、カラヤンをもっと深く特集した番組が放送されるといいなと思います。未公開映像や未公開写真がまだまだ眠っているはずなんですよね。(亡くなった時にすべて破棄されたという話もあるようですが)

あとはドキュメンタリーの再放送があればいいなと思います。ほとんどはDVD等で所持しているのですが、見損ねた番組が1つ。それは「日本人とカラヤン」という番組。生誕100年の2008年に1度放送され、2016年のゴールデンウィークに再放送されたようなのですが、まったく番組をチェックしておらず、見逃しました。それ以来、この番組に出会っていません。なんとかして見たいんですけどね。いつか放送されますように♫

 

今日はゆったり「天地創造」

早いものでもう弥生、3月を迎えましたね。

さて、今日は少しゆったりできる時間が持てたので長めの曲を鑑賞しました。ただ、仕事もひとつ片付いたところなので、レクィエムなどの重力級の曲ではなく、比較的ゆったり聴ける曲は?とCDの棚を見渡して、パッと目に入ったのがハイドンの「天地創造」でした。そのCDがこちら。

               

 

この曲はカラヤンのものしか所有していないので今回は演奏比較ではなく、単純なるレビューです。

全曲通しての感想としては、「すんなり聴ける」。この曲、じつはかなりの大曲だと思うんです。編成もかなりい大がかりです。ハイドンというと、意外と小編成で短めの交響曲のイメージをお持ちの方が多いようですが、後期のハイドンは、一般的に「ロンドン交響曲」と呼ばれる交響曲を作曲したあたりは、意外と大編成で演奏されていたことが多かったようです。この「天地創造」も初演は合唱を含めて200人ぐらいの規模での演奏だったようです。かなりの大編成です。ですから、普段、編成が大きく批判の的になっていたカラヤンハイドンも、この曲に関しては問題がないのではないでしょうか。

さて、このCDはザルツブルク音楽祭のライヴレコーディング。カラヤンにしては生前にライヴレコーディングでOKを出したのは珍しいですね。ライヴと称して発売されているものの多くは、カラヤンの死後に発売されましたから。カラヤンがもう少し長生きをしていたら、お蔵入りしていた演奏がいくつかあったかもしれませんね。このCDのライナーにこの演奏会の様子の写真が掲載されています。

              

ウィーン・フィル、ソプラノがエディット・マティステノールがフランシスコ・アライサ、バスがホセ・ヴァン・ダムです。独唱者とカラヤンがうまく映り込んでいますね。こうい写真やジャケットだと、その時の演奏会の様子が味わえて、とてもいいと思います。カラヤンの前に譜面台は無いので、恐らく暗譜で、指揮棒なしで指揮をしていたのでしょう。この長い曲を暗譜とはさすがカラヤンです。しかもこの「天地創造」、この年のザルツブルク音楽祭では1回しか演奏されていないので、その演奏をスコアなしに指揮を執るとは、脱帽ですね。カラヤンにとって「天地創造」はもう得意のレパートリーだったのでしょう。1979年の来日公演でもこの曲がプログラムにありましたね。ところが、この「天地創造」はこのザルツブルク音楽祭以降、カラヤンが亡くなるまでもう演奏されていないんです。ですから、このライヴCDがカラヤン最後の「天地創造」となってしましました。80歳後半のカラヤンの演奏も聴いてみたかったです。

最初の方で述べましたが、大編成のウィーン・フィルとの演奏ですが、いい意味で気張りがなく、さらっと聴いていることができる演奏です。粘られたり、一部分を強調されると、少し胃もたれをおこしそうになるのですが、それが全く起きない演奏です。誰もが耳にしたことのある、大合唱の部分もテンポも軽さも心地よく響いてきます。ただ、違う見方をすると、「この美しい曲♫」といった印象があまり残らないんです。でも、一番有名な第1部の最後、「天は神の栄光を語り」は圧巻です。合唱、独唱すべてが加わった部分ですが、ここはカラヤンのスケールの大きさが効果的にはたらいていると思います。実は、これがカラヤンの計算かもしれません。この1部の最後に1つの頂点をもっていくために、それまでを軽めに仕上げて、いざクライマックスへ!といった作りにしたのかもしれませんね。2部も同様です。最後の「すべての声よ、主にむかいて歌え」の始まりがとても力強く、少し重たく感じます。でも今までの流れを受けているので、わざとらしくなく、「クライマックスだ!」と自然と思わせてくれるんです。今までそんな低音、鳴らしていました?と言わんばかりに重心の低い和音が飛び込んできますよ。

ソリストは、この曲に関しては、個人的にはテノールペーター・シュライアーの方が

いいのかな?と思います。カラヤンも過去にはシュライアーとこの曲を演奏しています。1970年代はシュライアーとの共演が多く、1980年に入ってから、アライサを起用し始めたようですね。

この曲で、1つ思い出があります。カラヤンが1965年のザルツブルク音楽祭で演奏した「天地創造」も発売されました。発売当時は、決定的名盤のような謳い文句だったので、私もさっそく図書館にあったので、借りて聴いてみましたが、あまり響きませんでした。1965年の演奏の方がこってりしているような気がします。比較的重ための「天地創造」を期待している人にはいいかもしれませんね。というわけで、演奏はそれほど気に入らず、ライナーやジャケットを眺めていると、ふと気づいてしまいました。ソプラノの大天使ガブリエルの表記が、「ガブエリル」となっているのと、文章中の名前が何か所か間違っていました。これはまずい!とすぐにレコード会社に連絡をして、「この部分とこの部分がおかしくありませんか?」と伝えたんです。そうしたら、「担当に伝えておきます。」とそっけいない対応。どちらかというと迷惑な指摘をしてきたと言わんばかりの口調でした。後日、違う案件があり、同じレコード会社に連絡をしました。その案件のついでに、「先日、天地創造の件で連絡をしたのですが、その件はどうなっていますか?」と聴いてみたところ、「そのような案件を受けたという記録がありません」と言われました。自分としては親切心のつもりで伝えたのですが、レコード会社からすると迷惑なクレームとして受け止めていたのでしょう。「私としては、せっかく指摘したのに、伝えても頂けていないことにはがっかりしました。」と言ったところ、この時の電話対応の方は、「せっかく、そのように細かく読んでいただいて、ご指摘いただいたにもかかわらず、きちんと対応せずに申し訳ありませんでした。」と謝罪の言葉を述べてくださいました。まあ、ジャケットのミスは実はかなりあるので、私以外にも多くの人が色々な指摘をしているのでしょうね。ちなみに、今回紹介した、ライナーに刻まれている演奏時間も間違っているんです。もうそこまで指摘する気はないんですけどね。

というわけで、今日は「天地創造」のレビューをお届けしました。

カラヤンと「タンホイザー序曲」

ここ数日は急に寒くなり、なかなか体がついていかないですね‥‥。

さて、本日はカラヤンと「タンホイザー序曲」について綴っていきたいと思います。

最近、ワーグナーがマイブームになっているので、このお題で書いてみることにしました。

カラヤンは「タンホイザー序曲」をベルリン・フィルと録音しています。1974年にEMIでの録音と、その10年後の1984年にドイツ・グラモフォンでの録音です。

そのCDがこちら。

        

EMIのジャケット、格好いいですよね!これを買ったときは、しばらく机の前に飾っていました。2つの録音は、ともに序曲だけではなく、序曲に続いて「ヴェーヌスベルクの音楽(バッカナール)」が続いている演奏になっています。「パリ版」と呼ばれているのではないでしょうか。曲に対するアプローチはほぼ同じような感じです。演奏時間もおおむね同じなのですが、テンポ感が少し違うように感じました。旧録音の方が前半はやや遅め、中間部は速めでとてもメリハリのある演奏になっています。一方、新録音の方は前半がやや速めで、中間部以降はそれほど速くない演奏です。悪く言えばあまり緩急の感じられない演奏かもしれません。個人的には旧録音のゆったり目のメインテーマが大好きです。荘厳な響きがしていてとてもいいと思います。新録音も悪くはないと思いますが、旧録音と比べると軽いかな?と思ってしまいます。

このパリ版と違い、序曲だけのバージョンは「ドレスデン版」と呼ばれています。ベルリン・フィルドレスデン版は持ち合わせていないのですが、「カラヤン・イン・コンサート」というDVDには収録されているようですね。(これを書きながら、少し記憶がよみがえってきました。もしかすると実家にLDがあったような‥‥)

このドレスデン版を録音したものがこちら。

             

カラヤンの晩年のザルツブルク音楽祭でのライヴ録音です。演奏はベルリン・フィルではなく、ウィーン・フィルジェシー・ノーマンとの初共演でも話題になりました。この演奏会とザルツブルク音楽祭で上演のオペラ「ドン・ジョバンニ」(モーツァルト)のリハーサルの様子やカラヤンの私生活などの記録が収められている映像作品がこちら。

                

カラヤン・イン・ザルツブルク」です。このDVD(最近BDでも再発売されましたね)、カラヤンがどうやって音楽に向き合っているかよく分かり、リハーサル風景も見られるのでとても貴重な作品だと思います。この中に「タンホイザー序曲」(ドレスデン版)のリハーサル風景が何回か登場します。天下のウィーン・フィルに向かって、「余計なアクセントが付いていて、不正確で困る」といったことを言ったり、「メロディーが聴こえてこない!明日のコンサートでも聴こえるといいのだが‥‥」などと言えてしまうのは、いかにもカラヤンらしいですよね。ちなみに、私はこの映像作品をLDでも所持していますが(こちらは持っているのをはっきり覚えています♫)、LDとDVDで翻訳がだいぶ違っているのが面白く感じました。

さあ、本題の「タンホイザー序曲」についてですが、このウィーン・フィルとの演奏はテンポ的には新録音のベルリン・フィルの演奏と似たようなテンポです。しかし、音楽的には少しゆったり聴こえます。ウィーン・フィルの持つ雰囲気も影響しているのかもしれませんね。「タンホイザー序曲」はカラヤンは得意にしている曲なのだろうと思っていたのですが、意外や意外、序曲の最後の部分。基本的に3拍子で振っていくとうまく指揮ができるのですが、最後の2音の部分だけリズムが変わります。そこでカラヤンがうまく指揮を振れずに、ウィーン・フィルの演奏が崩壊してしまいます。どこで最後の和音を出せばいいのかわからなくなってしまいました。カラヤンはやり直します。こう振るからこう演奏するんだ!とも説明します。しかしながらこの部分、そんなに難しくはないというのが私の率直な感想です。トランペットがファンファーレのように奏でるのですが、私が演奏をした時もリハーサルの時から特に事故は起こりませんでした。しかも有名な曲でもあり、ウィーン・フィルもそれなりにこなれている曲だと思われます。それなのにうまくいかないんです。初めてこの映像を観たのは高校生の時でしたが、「なんでここで事故が起きるの?」とびっくりしたのを覚えています。何度かやり直し、「最後の和音は完璧な響きでなくては!」と言って、ようやく私が聴いてもいい響きに変わったところでこの曲のリハーサルは終了となります。これだけ練習をすればさぞかし素晴らしい本番かと思いきや、この演奏会のCDを聴いてみると、最後の音はちょっと自信なさげな逃げているような響きになっているんです。本番もカラヤンの指揮とうまく合わなかったのでしょう。

たまたまうまくいかなかったのかなぁ?と思っていたのですが、カラヤンの生誕100年を記念に販売された記念BOXの中に1973年の来日の際のベルリン・フィルとのリハーサルが収められているDVDがありました。ドヴォルザーク交響曲第8番、トリスタンとイゾルデ、そしてタンホイザー序曲の様子が収められています。なぜかカラヤンも楽団員も正装をしています。ドレスリハーサルという言い方をしているようです。

                

まあ、着ているものはともかく、このリハーサルの様子もとても貴重です。マイクがついていないので、演奏を止めてカラヤンがどんな指示を出しているのかは分かりませんが、演奏に注文をつけています。ドヴォルザーク交響曲はほぼ1曲通しています。次のトリスタンとイゾルデは「前奏曲と愛の死」をかいつまんで練習しています。重たく音を出すように、ビブラートが必要以上にかからないようにといったことを言っているように感じます。そしてタンホイザーに曲は移っていきます。曲の後半を演奏し始め、いよいよ最後の部分を仕上げようと演奏が始まり、最後の2音にさしかかろうとしたまさにその時、なんと、ウィーン・フィルで起こった事故と全く同じ現象が起きているではありませんか!ここでもベルリン・フィルカラヤンの指揮と合わなくなり、崩壊してしまいました。そしてカラヤンがこう演奏するんだと説明をします。説明の後もうまくいかず、何度かやり直し、ようやく成功してこのドレスリハーサルが終了します。

このベルリン・フィルとの映像を後から観たので、ウィーン・フィルと同じ事故が起きていると思いましたが、よく考えてみると、ベルリン・フィルとの1973年の段階でうまく指揮できておらず、晩年の1987年でも同じ失敗をしていたということですね。1973年以前にも「タンホイザー序曲」を何度も演奏した記録が残っているので、カラヤンにしてもベルリン・フィルにしてもレパートリーとなっていたはずなのですが何度やってもうまくいかなかった可能性がありますね。この最後の2音はカラヤンにとって鬼門だったのかもしれません。完璧主義のカラヤンにしては珍しいことかもしれません。でも、逆に人間らしい一面を垣間見ることができたのかもしれませんね。

本日はここまで♫