karajanjanの日記

カラヤンについて語りましょう

協奏曲のテンポはなぜ速い?

今日で10月も終わりますね。もう年末年始を意識する時期になってしまいました。「光陰矢の如し」ですね。

さて、本日は、協奏曲に焦点をあてて綴りたいと思います。

ここのところ、ふと手に取るCDは協奏曲の率が高いので、協奏曲について自分なりに考えてみました。

 

 

テンポ、速くないですか?

ここ数年、プロ、アマチュア含めいくつかの協奏曲がプログラムに含まれる演奏会の感想なのですが、「基本的にどの演奏もテンポが速い!」ということです。モーツァルトのピア協奏曲、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲、ドヴォルザークのチェロ協奏曲、他。私だけかもしれませんが、「もう少しゆっくり音楽を楽しませてくれないか?」と感じました。速いテンポ感の演奏が好きな人には文句ない演奏かもしれません。高速で最終楽章を弾ききった瞬間に熱狂的な拍手や歓声が起こるのも理解できます(しかし、ここ最近、フライングブラボー問題もあるので演奏直後の歓声や拍手は要注意ですね)。それにしても、特に第1楽章はもっとゆっくりと聴かせるフレーズはあるのではないかといつも思っていました。

速さと若さは比例する?

テレビなどで放映される協奏曲も比較的速い演奏が多いと思いますが、皆さんはどう思いますか?よくよく考えてみると、最近のTV放映などでソリストを務める方は、若い方が多いですよね。もちろん巨匠が満を持して登場してその芸術性を繰り広げてくれることもありますが(現在、トップレベルと考えられている、アルゲリッチなどはかなり速めのテンポどりをして、情熱的に曲をまとめている印象があります)、若い、これからの有望株、または今話題のソリストが登場する機会が必然的に多いことでしょう。そのせいなのか、総じて私にとっては落ち着いて聴けるテンポでの演奏はそう多くはないという感覚を抱いています。若い人は総じて、速いテンポを好んでいるんでしょうか?

指揮者とソリストの関係

ここで、「演奏のテンポはソリストが決めるの?」と疑問を抱かれた方もいるでしょう。この点に関しては、以前、こんな記事を掲載しましたので、合わせて読んでいただければと思います。

karajanjan.hatenablog.com

この疑問に対する答えはもちろん「NO!」です。指揮者とソリストが事前に打ち合わせをして、方向性を確認したうえでテンポや解釈が決定されることが多いですね。とは言え、当然、指揮者とソリストの意見が50%/50%で取り入れられるわけではありません。どちらかの力が強ければそちらになびくでしょうし、スポンサー等の意向が働けば、スポンサー側の演奏家の意向が尊重されることになるでしょう。

先程、若手のソリストの登場が目立つと書きましたが、その傾向が強ければ、ソリストはまだ音楽家としては駆け出しで、経験値からすると指揮者にイニシアチブがありそうです。ですが、実は、最近の指揮者、やはりテンポが比較的速いように思うんです。私が往年の巨匠たちの演奏を聴きすぎていて、そのテンポ感や曲の持つ雄大さがスタンダードになってしまっているからでしょう。ちょっと純粋にその曲と向き合うことができていないのかもしれませんね。反省です。もしかすると、ピリオド奏法がはやり出したあたりから、カラヤンのようなレガートで音をたっぷり弾くという流れが変わった気がします。弓を速く動かして、ビブラートもあまり加えず、軽く速めに立ち上がる音で演奏されるベートーヴェンやブラームス、時にはブルックナーが登場したように思います。この奏法が正しいのか否かの答えは見つからないことでしょう。

そういった事情からも、どっしりと構えた音楽を奏でる指揮者が少なくなってきたように感じます。

ソリストがテンポを速くしたい理由

では、世の中が全体的に速さを求めるようになったのか?というと決してそんなことはないでしょう。ゆったりとした太い音の音楽を求める聴衆は多く、そういった演奏があると、SNS上ではすぐに話題にされますよね。では、ソリスト、特に若いソリストがなぜ、あえて速いテンポを設定しているのか。正解ではないかもしれませんが、私なりの答えを出してみました。

昔ですが、ある音楽教室の発表会で、ベートーヴェンの第4番のピアノ協奏曲を演奏することになり、その伴奏を当時、私が所属していたオーケストラが務めることになりました。その音楽教室を運営しているのは、日本でかなり有名のピアニストの方。光栄なことに、そのピアニストの方と親交があったこともあり、ピアノ協奏曲第4番の練習指揮者を任されました。私はカラヤンやバーンスタインのCDとスコアで一生懸命に曲を勉強し、リハーサルに臨みました。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番はピアノの優しいソロで始まります。そのテンポに合わせて、私がオーケストラの指揮を開始し、途中、たっぷりと謳える箇所では、ややテンポをおさえて、ゆったりとベートーヴェンの楽譜を追ってきました。すると、当日、いらっしゃっていた、ピアノ教室を運営なさっているピアニストの先生が演奏を止めて、こんなことをおっしゃったんです。「このテンポだと練習になっちゃうから、もっと速いテンポで始めなさい。そうじゃないと、そのあとのオーケストラはもっと遅くなっちゃう。」「もっと速いテンポで」は担当するソリストに向かっての先生のアドヴァイスです。その先生の仰る通りで、ソリストの入りが遅いと、その後のオーケストラは急には加速できません。だからソリストにもっと速く演奏するよう指示したわけです。一方、私にも「協奏曲はソリストのテクニックの披露の場でもあるから、ゆっくりだとテクニックの凄さが伝わらないから、思っているよりも速く指揮してくれる?」とお言葉をかけてくれました。このアドヴァイス、とても勉強になりました。

今思い返すと、この、「協奏曲はソリストのテクニックの披露の場」という言葉はとても重要だったように思います。実は、ソリスト自身の感性でというよりは、ソリストの先生、師匠が「自分の弟子がテクニックを存分に世にしらしめることができるテンポ」をアドヴァイスしている可能性が高いのではないかと思いました。

だから巨匠同士の協奏曲はゆったりなのか!

後日、このソリストを務めた方と話した時、「私は一番最初に合わせた時くらいゆっくり演奏したかった♬」と言われたんです。私も最初に合わせたテンポは心地よかったのですが、ソリストにとっては、もちろん音楽の中身で世の中が評価してくれれば、そんなにいいことはないのでしょうが、なかなか内面は評価されない。そこで、まずテクニック的な評価を得ておく必要性があるのでしょうね。

ですが、指揮者も巨匠・ソリストも巨匠または知名度十分な組み合わせの場合、テンポを速めてテクニックだけを見せつける必要性はないわけです。だからこそ、ゆったりとその音楽に込められたものを表現することが可能になるのでしょうね。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲の場合、特に第1楽章に特化しますが、カラヤン&ワイセンベルク(ベルリン・フィル)は18分19秒、バーンスタイン&ツィマーマン(ウィーン・フィル)は19分17秒、アバド&ポリーニ(ベルリン・フィル)は17分18秒といった具合のテンポどりです。カデンツァの関係で何とも言えない部分もありますが、17分以上は要している感じです。

これ以外に特に面白いと思ったのが、バーンスタイン指揮、バイエルン放送交響楽団、ソリストはクラウディオ・アラウによる演奏です。1楽章に20分を費やしていました。

出だしのピアノの音、他よりやや重たく聴こえます。この重たさ、実にいいと思うんです。心の芯に沁み込んでくる重さとでもいいましょうか。一般的に出だしは軽めに柔らかく演奏するピアニストが多いと思うのですが、ちょっと無骨に音楽がスタートする。それをバーンスタインが包み込んでいく感じのやり取りが続きます。私はこの演奏を気に入っています。その演奏はこちらです。

            

ツィマーマンとの演奏はこちらですね。

            

 

ちなみに、カラヤンは来日公演で、この4番の協奏曲をワイセンベルクと演奏していますが、その際は、スコアを見ながら指揮をしていますね。カラヤンにしては暗譜ではないのは珍しいのではないかと思います。

 

というわけで、今回は協奏曲のテンポに関して、勝手に考えてみました。もちろん、ゆったりと中身のある演奏をしているソリストはいっぱいいると思います。私の勝手な思い込みと思って、お流しくださいね。皆さんも、テンポに関して、何かお感じになっていることがあれば、是非教えてください。

それでは!

 

自然に聴けるモーツァルトは?

真夏日が来たと思ったら、翌日は20度くらい。ちょっと体にきついですね。もっと平均的な気温がいいですよね。

さて、本日は、久しぶりにモーツァルトについて綴ってみたいと思います。

自然に聴けるとは?

まず、今回のテーマにした”自然に聴ける”とはどういうことか。これはとても難しいテーマを設定してしまったと、自分でも説明に苦しんでおります。でも、自分にとって”自然に聴ける”モーツァルトってなかなか出会えない。意図的に細工をして、一部分を強調したり、古楽器調に解釈したりとなんとなく無理にいじっているような演奏を聴くことの方が多いような気がしています。もちろん、私が”意図的にいじっている”と個人的に感じる解釈が間違いではありません。もしかしたら、そちらの解釈が正解の可能性もあります。ですから、それらの解釈を全否定する気はありません。ですが、私にとっては、「自然なモーツァルトだ!」と思える演奏はあまりないんです。特にここ10年、「いいモーツァルトだった♬」という演奏とは出会っていないと思います。ここで言う「自然」とは、何も手を加えない演奏という意味ではありません。レガートで美しく歌わせることも、一種の作り込みです。私が問題にしているのは作為の有無ではなく、その作為が音楽の流れに奉仕しているかどうかです。

意図的に細工しているとは?

先程、”意図的に細工している”と述べました。このことについて、私の考えを少し綴っておこうと思います。それは、「音楽の流れを止めてしまっている!」と思われる演奏を指します。「どうしてそこで無理に遅くするのだろう?」「なぜ急に強いアクセントが出てくるのだろう?」「そこに休符はある?」といった感想を抱いたことはありませんか?(もしかするとこれも勝手な解釈ですが)バロック音楽からハイドンまでは比較的小編成で、奇抜と思われる解釈も通用しているような気がしますが、モーツァルト以降、あまりいじりすぎると違和感が出てくると思うんです。もちろん、モーツァルト以外の作品でも同じような違和感を覚えることは多々あるでしょう。でも、私は、特にモーツァルトでは”意図的な細工をしている”と感じやすいんです。決して、テンポが速い、遅いの問題ではないのだと思います。

ある指揮者のコメント

以前、ウィーン・フィルの来日公演でモーツァルトの39番・40番・41番の演奏会があり、その模様がNHKの番組で放映されました。その中で指揮者が、モーツァルトをどう演奏すべきかを語っていました。一言一句は覚えていませんが、自分の中でかなり引っ掛かった発言でした。「モーツァルトを大編成で演奏するのは間違っている。アーティキュレーションを正しくすべきで、やたらレガートやピアノを強調するのはおかしい。譜面に書いてあることを素直に表現すべきで、勝手な解釈をすべきでない。」簡単にまとめると、確かこのようなことでした。

これはあくまで私の推測ですが、この発言はカラヤンを念頭に置いたものだったのではないかと思います。大編成でレガート、ピアノを美しく演奏する。まさにカラヤンですよね。ベルリン・フィルをゴージャスに響かせていたカラヤンに対し、この指揮者はその対極にいる人でした。比較的小編成で、その時代の音を追求する。なので、カラヤンのようなモーツァルトは受け入れがたかったのでしょうね。

譜面に忠実とは?

編成の問題、レガート奏法が気に入らない。これはまあ好みの問題もあるので、そのような主張もいいと思います。しかし、私が引っ掛かったのは「譜面に書いてることを素直に表現すべき」という部分でした。そうモーツァルト演奏論を述べていたので、どれほど譜面に忠実に演奏するのかと思い、テレビに前に座って、演奏を聴いていたのですが、39番の1楽章で「?」がついてしまいました。壮大な序奏が始まり、第1主題に入り、しばらくすると急にテンポを落として「チャン チャン チャン」と3つの和音を奏でさせたんです。この3つの和音の前に少し間も作っていました。この部分、比較的この方と同じような解釈をする指揮者が多いのですが、本当にそう演奏すべきなのか、スコアで確認してみました。すると、この部分に間を開けるような指示、テンポを落とす指示、そういったものはありませんでした。もちろん、楽譜にも色々なバージョンがあるので、この演奏で用いた楽譜にはそういった指示が書かれていた可能性が0とは言いませんが、今まで、色々な楽譜を見てきて、この部分にテンポを変える指示が書かれている楽譜に私は出会ったことがありません。音楽的に少し落ち着かせる要素はあるので、ほんの少しだけテンポを落とすことは、もしかしたらクラシック音楽の伝統としてあるのかもしれませんが、急に間を開け、違ったテンポで3つの和音を演奏する。これは私にとって「意図的に細工した」演奏に該当したわけです。譜面に忠実であるべきといったことと矛盾しているように感じたわけです。

最近聴いたモーツァルト

そこで、期待をして聴いたのがこのCD。私が最近お気に入りの指揮者、タルモ・ペルトコスキの演奏です。

              

ペルトコスキのドイツ・グラモフォンデビュー盤です。この若さで、ドイツ・グラモフォン、更に曲は超王道のモーツァルト!35番「ハフナー」・36番「リンツ」・40番です。期待して聴いたのですが、どちらかというと、「細工」されていると感じる類の演奏でした。ペルトコスキの場合、テンポなどをいじっているというわけではなさそうですが、なぜ「意図的な細工」に聴こえるのか考えてみました。

まず、オーケストラがドイツ・カンマーフィル。このオーケストラだと、もしかするとと思って聴いたのですが、やはり予想通り。ティンパニがちょっとペンペンしている感じです。これは、ペルトコスキだけではなく、パーヴィ・ヤルビが振っても、同じようにティンパニがペンペン気味。このオケの響きの特徴ですかね。このティンパニがちょっと強すぎるのではないかと思うんです。流れとはちょっと合っていない音の質かなと感じました。しかし、これは好みの問題かもしれませんね。

次に装飾音の入れ方です。かなり細かく装飾音を吹かせています。ここにこんな装飾音があったかな?使っている楽譜の版が違う可能性は大いにありますが、ここまで装飾音を入れ込んでいる演奏は初めて。聴き慣れない演奏だから「細工」に聴こえたのかもしれませんが、個人的にちょっと細々し過ぎてうるさい感じがしたんです。でも、ペルトコスキの場合、「意図的に細工」というよりは、楽譜に書かれていることを一生懸命に、全ての音を聴かせるために頑張っているようにも感じました。なので、「嫌な演奏だな!」とは思いませんでした。

やっぱりカラヤン♬

そこで、改めて「自然に聴けるモーツァルト」は誰の演奏か考えてみました。

個人的にいいと思えるのは、バーンスタイン、カルロス・クライバー、ムーティ。いずれもウィーン・フィルで、比較的大編成の巨匠的な演奏です。たとえばバーンスタインなら41番「ジュピター」、クライバーなら36番「リンツ」、ムーティなら38番「プラハ」。ここまで述べてきた「細工」はあまり感じられず、大きな流れに身を任せた演奏だと思うのですが、皆さんはどう思いますか?

更に私にとって自然に聴こえるのは、やはりカラヤンの演奏でした。「カラヤンが自然に聴こえるのか?」とお感じになる方は多いかもしれません。しかし、吉田秀和さんの『カラヤン』(河出文庫)に、こんな記述がありました。

「カラヤンの演奏には、モーツァルトを、こういじる、ああいじるという作為の跡が少しもなく、むしろ、モーツァルトの音楽に導かれて、それに忠実に演奏するように心がけているとでもいった趣があったのである。」

              

私が感じていたのは、まさにこの吉田氏の記述です!こんなにも同じ感覚の方がいるとは本当に驚きです。

カラヤンのモーツァルトは絢爛豪華でモーツァルトらしくないと評価されることが多いですが、音楽の流れは本当に途切れることなく、限りなく自然に流れているように思います。特に、ウィーン・フィルとの40番・41番は絶品だと感じました。カラヤン嫌いの方も、「音楽の自然な流れ」に着目(着耳?ですかね)して、是非、聴き直してみてください。

 

 

 

ベートーヴェン ピアノ協奏曲第3番~グールドとカラヤン~

だんだんと肌寒く感じるようになってきましたね。もうちょっと心地よい秋を満喫したいのですが、ここ数年、秋があまり長くない感じですね。

さて、今回は、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番について綴っていきたいと思います。

 

カラヤンとピアノ協奏曲第3番

カラヤンは生涯で約20回ほどこの協奏曲を取り上げています。世の中的には協奏曲第5番の「皇帝」の方が人気があり、演奏される機会も多いと思いますが、実演だけで見ると、カラヤンはこの第3番の協奏曲を取り上げる機会の方が多かったようです。ただ、多かったといっても、4~5回の違いなので、4番の協奏曲も含め、だいたい15回~20回程度の実演といったところですね。

第3番は暗いイメージをお持ちの方が多いかもしれません。ドロドロとした暗いテーマで始まりますからね。何かに追いかけられているかのようなメロディーですよね。そんな3番ですが、最近、聴き直してみたのが、以下の演奏です。

グレン・グールドとの共演

カラヤンが1957年に、グレン・グールドをソリストに迎えて演奏会を行いました。そのライブ録音として発売されたのがこのCDです。

             

ご存知の方も多いかもしれませんが、グールドは演奏会よりも、スタジオにこもって、録音での活動をメインにしていた名ピアニストです。したがって、演奏会に登場となれば、それはもう話題になった人ですね。カラヤンも録音を重視する音楽家でしたから、そういう意味では気が合っていたのかもしれません。ですが、気が合っているのと、演奏で名コンビになるかはまた別の話。音楽性が違えばちぐはぐな演奏になる可能性は十分あるわけです。

では、この演奏はといいますと、そんなちぐはぐさは感じられず、お互いに寄り添った演奏のような気がします。全体の印象はといいますと、「スマート」な演奏だと感じました。個人的に、グールド&カラヤンだから特別感があったかというと、そこまでは無いような気がします。「名演」というよりは「良演」ではないでしょうか。

第1楽章

テンポはこの曲としては、標準的かなと思います。先程述べましたが、何かに追われている、悪夢でも見ているかのような暗いテーマで始まります。カラヤンの傾向からすると、もう少し遅く、粘っこく演奏するかなと思いきや、意外に淡々と進んでいく音楽作りでした。グールドも、ブラームスのピアノ協奏曲第1番でバーンスタインに今までにない遅いテンポで演奏することを提案し、物議を醸したことがありました。この件については、以前に綴っているので、こちらをご覧ください。

karajanjan.hatenablog.com

しかし、このカラヤンとのベートーヴェンの共演は、バーンスタインとの事件よりもだいぶ前の話なので、比較的、スマートに演奏をしていた時期なのかもしれません。グールドの音は、迷いなく、タッチと同時に明るめの響きがしてきますね。暗いメロディーを奏でてても、そこまで深刻な気分にならず、前向きに聴いていられるのは、このグールドの音の質に関係しているのかもしれません。そこに、カラヤン&ベルリン・フィルがかなりしっかりと寄り添っています。ピアノとの掛け合いでは、カラヤンは、グールドのピアノの音を消さないよう、かなり神経を使っている様子がうかがえます。オケだけになると、ヴィルトゥオーゾオーケストラたるベルリン・フィルが本領を発揮しそうなものですが、ここではやや抑えめに響かせています。グールドの繊細なタッチにカラヤンが寄り添い、お互いを信頼しているからこそ、この絶妙なバランスが生まれたのではないでしょうか。

第2楽章

2楽章は、優美なメロディーで、1楽章の暗さを忘れさせてくれますね。中間部のフルートを中心とした木管セクションが素晴らしいこと♬ソリストのグールドはといいますと、1楽章同様、オリジナリティーを前面に打ち出すわけではなく、非常に落ち着いた響きを聴かせてくれます。もっと粘って演奏するのかな?と思っていたのですが、案外あっさりと優美なメロディーを奏でてくれます。もしかすると、木管セクションの美しさを引き出す役割に徹してくれたのかもしれません。普通、ソリストの方が目立って、美しいメロディーを弾きますから、カラヤンがグールドに、木管セクションへ引き渡す役割に徹するよう頼んだのかもしれませんね。カラヤンはソリストよりも曲全体の流れを重視する傾向があります。また、そんなカラヤンの音楽作りを、グールドは評価していましたから、ここでは折り合いがきちんとつけられていたような気がしました。

第3楽章

この楽章、1,2楽章よりもあらゆる細かい音が聴こえてくるような気がします。「そんな音あったっけ?」と感じるくらい、伴奏、オブリガートの細かいパッセージが聴こえてくるんですよね。もちろんグールドの弾く細かい音もしっかりとキャッチすることができます。

この楽章、私は気に入っているのは、比較的始まってすぐのオーケストラとピアノの掛け合い。オーケストラが「ターン ターンタターン」と大きく奏でた後に、ピアノが「タララン タララン タララン」と奏でる部分。ここでよく鳥肌が立つんですが、この演奏でも鳥肌が立ちました!特にグールドの「タララン タララン タララン」が他の演奏よりもクリアにきこえるのは私だけでしょうか?全ての音が重すぎず、均一にクリアに聴こえます。ここは重たく演奏するピアニストが多いと思うのですが、少し異質で素晴らしいですね。オーケストラは逆にいつもより重たそうに長く演奏しているので、ピアノとの対比をカラヤンが意識したのでしょう。

総じて、この楽章も素晴らしいと思いますが、前の2つの楽章の流れからすると、もう少し速めのテンポでもいいのかな?と思いましたが、音をはっきりクリアに聴かせることを意識したのであれば、しかるべきテンポだったのかもしれませんね。

ワイセンベルクとの比較

というわけで、グールドとの共演を綴ってきましたが、手元にあった、もう一つのライブ録音も比較のために聴いてみました。それがこちらのCDです。

              

1977年の日本公演、普門館での演奏です。ソリストはカラヤンお気に入りのアレクシス・ワイセンベルクです。この演奏、普門館という超巨大なコンサートには不向きとされた会場でのライブ録音のわりには、細かい音が聴き取れる、素晴らしい録音だと思います。協奏曲第5番「皇帝」とのカップリングです。

この演奏を聴いてみて感じたことは、やはり一呼吸分くらいこちらの演奏の方が落ち着いているということでした。ややゆっくりに感じます。実際、1・2楽章は20秒程度遅いですね(3楽章はほぼ同じ9分00秒!でもやや遅く感じますね)。一番驚いたのが演奏のスタイルが逆転していたことでした。この頃のベルリン・フィルとの関係が最高であったという声をよく聴くので、カラヤン・レガートでたっぷりと存分に歌い上げているのかと思いきや、なんとグールドとの昔の演奏の方が、レガートで、音を長めに扱っていました。ダイナミックスレンジもグールドとの演奏の方が細かくつけられていました。テンポが速く感じられた分、レガートを感じづらかったのかもしれませんね。ワイセンベルクとの演奏では音が短いわけではないのですが、アクセント、スタッカートに意識がいっている演奏のように感じました。

ただ、これは、もしかすると、先程述べた、「普門館」が会場であったことが影響してるかもしれません。あの「普門館」でレガートレガートし過ぎると、舞台では響き過ぎて、うまく演奏が合わなくなってしまう。そうならないよう、響きを抑えた可能性があります。また、テンポもあまり速いとホールとの相性でうまくいかないと困るので、やや遅めに設定した可能性もありますね。この来日公演では、ベートーヴェンの交響曲チクルスが披露されています。その演奏のテンポは概して速めなのですが、協奏曲とは違い、指揮者が直接的にコントロールできる交響曲では、いつも通りの快速テンポで演奏したのかもしれません。

実際、普門館は巨大なホールで、私も吹奏楽コンクールで何度かあの舞台で演奏しました。よく、「他の人の音が聴こえないくらい舞台が広い!」「孤独感にさいなまれる」などと聞いていたのですが、個人的にはそこまで吹くのに大変だとは思いませんでしたが、かなりの人が、この普門館での演奏には苦労したようですね。

 

というわけで、今回はベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番、グレン・グールドとの共演をメインに綴ってみました。

皆さんがお気に入りの「第3番」の名盤・名コンビは誰の演奏でしょうか?ぜひコメントなどで教えていただけると嬉しいです!

それでは!

 

「タンホイザー」は苦手?

ようやく秋らしい気候が続いていますね。

出張が続き、更新が滞っておりました。

さて、今回は再び、カラヤンとワーグナーの「タンホイザー」について綴ってみたいと思います。

 

カラヤンのワーグナー解釈

カラヤンのワーグナーについては、様々な評価がされていますが、良くも悪くも「室内楽的な響き」という表現がよく聞かれますね。ドキュメンタリー等で、ワーグナーの作品のリハーサル場面がありますが、その際も「歌手を聴いて!」とか「大きすぎる」とオーケストラに指示を与えています。

ワーグナーというと、金管がガンガンと鳴り響き、編成の大きなオーケストラが地の底からゴロゴロと音の壁を作り出しているという印象をお持ちの方が多いのではないでしょうか。こう書いている私も、昔は、ワーグナーと言えば、とにかく楽器を太い音で鳴らそうとしていました。もちろん、ワーグナーは、太い音で鳴らすことは必要なのですが、カラヤンはあの、ウィーン・フィルに対しても、「鳴らせばいいってもんじゃない。完璧な響きでなければ」と注文を出していました。カラヤンの中では、各要素が十分に聞き取れる理想的なワーグナーの響きが確立されているのでしょう。

カラヤンと一緒にワーグナー作品で共演した歌手たちも、口を揃えて「カラヤンの伴奏であれば、ピアノの音量で十分に歌える♬」と評していますね。ということは、他の指揮者だと、声を張り上げていないと客席まで届かず、オーケストラにかき消されてしまう心配を抱えながら歌っているということなのでしょう。さすがはオペラ職人のカラヤンだと思います。

カラヤンの演奏履歴

では、カラヤンが実際にワーグナーのどの作品を演奏しているかみていきたいと思います。

楽劇「ニーベルングの指輪」4部作

(「ラインの黄金」・「ワルキューレ」・「ジークフリート」・「神々の黄昏」)

歌劇「ローエングリン」

歌劇「さまよえるオランダ人」

歌劇「タンホイザー」

楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

楽劇「トリスタンとイゾルデ」

舞台神聖祭典劇「パルジファル」

以上の作品は、部分的(序曲や有名なアリアのみ)ではなく、実際に歌劇・楽劇として上演されています。多い作品だと、50公演、少ない作品でも10公演は上演していますね。ワーグナーの有名なものはほぼほぼ手掛けていますね。以前紹介しました「リエンツィ」は序曲を若かりしときに1度だけ実演しています。そもそも、「リエンツィ」は現代ではあまり上演されない演目なので、カラヤンが上演しなかったのも、仕方がないかもしれませんね。

karajanjan.hatenablog.com

まあ、ワーグナーの作品は大規模なものが多く、それなりに費用もかかるので、やれる実力があったとしても、それほど多くは上演できないとは思うのですが、そこはカラヤン。自分で音楽祭を立ち上げ、理想とする環境下でやりたいオペラをやってしまうんですから、そういった面から考えても、偉大な方だったわけです。

録音した作品

それでは、今度はカラヤンが録音した作品をみていきましょう。

「ニーベルングの指輪」4部作はドイツ・グラモフォンでベルリン・フィルと1960年代後半に録音しています。

歌劇「ローエングリン」は、1975年~1981年にかけてEMIでベルリン・フィルと録音しています。6年も録音にかかったのは、歌手とのいざこざがあり、録音が中断してしまったからのようですね。

歌劇「さまよえるオランダ人」は1981年~1983年にかけてEMIでベルリン・フィルと録音しています。

楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」は、1970年にEMIで、これはなんとベルリン・フィルではなく、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団と録音しています。本来はバルビローリが録音する予定だったそうですが、バルビローリが録音をキャンセルしたため、カラヤンが急遽代役で録音したそうです。

楽劇「トリスタンとイゾルデ」は1971年にEMIでベルリン・フィルと録音しています。

舞台神聖祭典劇「パルジファル」は1979年から1980年にかけて、ドイツ・グラモフォンでベルリン・フィルと録音しています。デジタル録音による登場で話題だったと思います。

こうしてみてみると、多くはEMIで録音しています。カラヤンのワーグナーの音の好みに合っていたのが、EMIの録音だったのかもしれませんね。

あれ?「タンホイザー」は?

そう、歌劇「タンホイザー」は録音されていないのか?とお思いですよね。実は、スタジオ録音としてカラヤンが全曲を残したものはないんです。序曲や部分的には録音を残していますが、セッションを組んでは録音しませんでした。他の有名な歌劇等をセッションを組んで録音に残したカラヤン。それなのに、「タンホイザー」だけは残していません。実演は20回以上行っているようです。なぜそれほど演奏しているにもかかわらず、録音しなかったのでしょう?

「タンホイザー」の序曲に関しては何度も録音を行っています。最晩年のザルツブルクでの演奏会でもこの序曲を取り上げており、映像作品「カラヤン・イン・ザルツブルク」ではそのリハーサルの様子も収められています。かなり緻密にリハーサルをしている印象を受けました。ウィーン・フィル相手に、弦楽器だけで演奏させたり、トロンボーンだけで吹かせたりと、こだわりを見せています。しかし、最後の和音がうまくいかない。このうまくいかない事件については、こちらをお読みいただけると幸いです。

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さて、スタジオでのセッション録音を残さなかったと綴りましたが、カラヤン亡きあと、生誕90年の記念として、未発売音源が発表されました。そのうちの1つに、ウィーン国立歌劇場音楽監督時代に上演した歌劇「タンホイザー」全曲があったのです。修正なしの完全なるライブ録音です。これは、カラヤンファンにはたまらない録音が発掘されたわけです。そのCDがこちら!

              

ライブ盤の演奏は?

このライブ盤、ドイツ・グラモフォンから発売されたものです。私も物凄い期待を抱いて、CDプレーヤーをスタートさせました♬

まあ、モノラルでライブ録音なので、音質は仕方ない部分があります。それはいいとして、この演奏を聴いて、私はビックリしました。「カラヤンの代名詞ともいわれる壮大なレガート奏法ではない!」ほとんどの音が短めで、フレーズが短く聴こえるのは私だけでしょうか?晩年のウィーン・フィルとのリハーサルでは、音が滑らかにつながらないことを細かく注意していたカラヤン。しかし、この演奏にはそのカラヤンらしさはあまり感じられませんでした。基本的に若い頃と晩年、あまり解釈に変化がないカラヤンですが、タンホイザーだけ、これほど解釈が変わったということなのでしょうか?いや、そうではない気がします。

実は、CDのライナーに「完璧主義者のカラヤンにとって、この初日は彼の意図する水準には達していなかったのだろう」と書かれているんです。ところが聴衆は大喝采で、その大きな拍手も収録されています。もちろん、有名な「夕星の歌」やその他のアリアで、とても素晴らしい部分も多々あります。ですが、序曲やポイントポイントとなる箇所ではちょんちょんした短い音や、響きの粗い音がしてくるんです。

もしかすると、カラヤンは「タンホイザー」はうまく指揮できない、相性の悪い作品と感じていたのかもしれません。でも、人気の高い作品なだけに、やらないわけにはいかない。しかし、1964年以降は二度と全曲の指揮はしませんでした。

最後に何とか自分の音楽にしたい!

そんなカラヤンですが、晩年の1987年、ザルツブルク音楽祭で、ワーグナープログラムでの演奏会を開催しました。その中の1曲が「タンホイザー」序曲。「かつて納得のいかなかったこの曲を、最後に自分の理想とする響きで完成させたい」——そんな強い思いがあったのではないでしょうか。ここで聴ける演奏は、カラヤン・レガートが存分に効いた、フレーズの長いまさにカラヤン流ワーグナーそのものでした。ただ、もうオペラ全曲を指揮する体力は残されていなかったのかもしれませんね。

 

というわけで、今回はカラヤンと「タンホイザー」の相性について少し考えてみました。1980年代にベルリン・フィルとの全曲録音を聴いてみたかったと思うのは私だけでしょうか?

ライブ録音の「タンホイザー」を聴いた方は、ぜひ、感想をお聞かせください!

 

 

 

難曲 ブラームスの3番

今日もしとしと雨ですね☔9月中、ほとんど毎日雨でした。こんな9月今まであったでしょうか?

さて、本日は、ブラームスの交響曲第3番について綴りたいと思います。

 

異質な第3番

皆さんは、ブラームスの3番、どう思いますか?

ブラームスといえば、あの重厚な交響曲第1番の出だし、華やかな第2番の終楽章、畳みかけるように終わる第4番。そう、ブラームスらしい重たさや華やかさがありますよね。なので、好きなブラームスの交響曲ランキングでは、この1,2,4番が上がってくると思います。演奏会でも、この3曲はよく取り上げられていますよね。

ですが、第3番、あまりプログラムにのりませんよね。どうしてでしょうか?

そう、あまり重たくもなく、最後が静かに終わってしまう曲なんです。ちょっと語弊があるかもしれませんが、「ブラームスらしくない」のかもしれません。皆さんが期待しているブラームスの響きではないのだと思います。

難しい第3番

ブラームスの3番といえば、あの第3楽章がとても美しいですよね。昔懐かしい、N響アワーのオープニングにも使用されていましたね。ホルンのソロが本当に素晴らしい楽章だと思います。しかし、曲全体としてはやはり地味ですよね。しかしです、実は、演奏すると、ものすごく難しい曲なんです。重々しくなり過ぎず、かといって軽くてはいけない。そして和音の美しさを保つ。ピアノやピアニッシモを美しく響かせる。気を付けるべきことだらけの曲なんですよね。でも、聴衆にはそこまで曲の良さが届きにくいのが悩ましいところです。ただ小さく弾いただけでは面白くない演奏になってしまいます。だけど、必要以上のエネルギーで演奏すると、曲全体の規模を超えてしまい、曲の持つ味わいが損なわれてしまう。プロの方に聞いても「3番が一番演奏しづらい」と仰いますね。

 

特に難しいコーダ♬

実は、この3番、ベルリン・フィルにとっても鬼門のようです。長らくベルリン・フィルのインテンダントを務めてきた、ヴォルフガング・シュトレーゼマンが著した「栄光の軌跡 ベルリン・フィルハーモニー」という本の中の「ヘルベルト・フォン・カラヤンー音楽と解釈ー」という章の中に次のような文がありました。

                 

「カラヤンの苦手な曲という意味では、柔和な音作りのされているブラームスの交響曲第三番もたしかにそれにあたる。 ~中略~ とくにあの終楽章のコーダは‥‥」

この本に限らず、3番の終楽章のコーダはなかなかうまくいかず、納得した演奏ができないと書かれています。あのフルトヴェングラーでもなかなかうまく演奏できなかったと書かれているものもありました。カラヤンもこの部分がうまくいかず、団員からも不満の声が上がっていたそうです。カラヤンがこの曲を振っている映像(1つは正規販売されている1970年代の映像、それとyou tube等にあがっている日本公演の映像がありますね)を観てみたのですが、私には、カラヤンの指揮が強すぎるように感じました。力み過ぎというか、ぐいぐいオケを引っ張ろうとしているんですが、この曲、そういう力技は通用しないと思うんです。1番、2番、4番はカラヤンのあの指揮に本当にはまると思っています。でも、3番だけは違うんですよね。カラヤン大好きな私でも「その指揮は曲と合ってないのでは?」と思ってしまいます。

そんなカラヤンも、1970年代後半のコンサートで、この呪縛から解き放たれたと本に書かれていました。ベルリン・フィルの団員も、カラヤン自身も、「ついに完成された響きのコーダが演奏できた!」と思える演奏に到達したそうです。フルトヴェングラーもベームもワルターも、みんなある日を境に、このコーダをマスターして、ベルリン・フィルと喜びを分かち合えるようになったそうです。

やはり、普通の交響曲とは違う要素があるようですね。

最晩年のカラヤンの演奏はこちらです。この演奏は本当にお勧めです。しっとりとした中に適度な重さのあるブラームスですよ。

             

3番でアバドが決まった!

これは、あくまでも噂話レベルなのですが、アバドがカラヤン亡きあとのベルリン・フィルの音楽監督の座を射止めたのは、このブラームスの3番の出来がよかったからと言われているそうです。こんな3番を演奏できるなら、ベルリン・フィルのシェフとして任せられるのではないかとメンバーが思ったようです。誰もが苦戦する、3番をこうもうまく処理できるアバドに白羽の矢が立ったとしても何の不思議もないですよね。私は、個人的に、アバドのブラームスはとてもいいと思っています。特に1番を衛星放送で聴いた時には鳥肌が立ちました。この3番も、CDをかけた瞬間から引き込まれてしまう演奏だと思います。アバドとベルリン・フィルの相性は素晴らしいと、私のような素人でも思うんです。ベルリン・フィルのメンバーはもっと何かを感じ取っていたことでしょうね。

アバドのブラームスのCDはこちらです。

              

 

ブラームスの3番、ちょっと聴いてみたくなりましたか?こういう曲なので、演奏会で組み合わせる曲も難しいんですよね。演奏でも、プログラムでも私たちを悩ませる曲というわけです。

皆さんは、感動したブラームスの3番に出会ったことはありますか?是非、皆さんの3番の体験談、紹介してください。お待ちしています。

 

2026HAWAII旅行記④

本当に雨続きの9月ですね。お日様はどこへ行ったやら。

さて、今回はまだ紹介しきれていない夏休みのHAWAII旅行記を綴っていきたいと思います。

第4回目は「トロリーバスの旅」です。

 

これまでは‥‥

今までハワイに行くと、ツアーに参加したり、遠くへ足をのばしたりはせず、比較的宿泊しているコンドミニアム近辺でまったりと過ごしていました。ワイキキの街へはそれなりに繰り出していて、例年紹介している、「ホノルル動物園」、「ワイキキ水族館」、「ホノルル美術館」やインタナショナルマーケットプレイス、ロイヤルハワイアンセンター、アラモアナショッピングセンターなどはちょくちょく行っております。

コロナ明けからはちょっと頑張って、ハワイ出雲大社にも挑戦しました。

 

今年は!

では、今年はと申しますと、息子と「ダイヤモンドヘッド登頂!」を計画していました。ダイヤモンドヘッドは以前、登ったことがありますが、今年は絶対に登りたいという息子の強いリクエストに応えて、計画に組み込みました。しかし‥‥。ストーム「LALA」のためにダイヤモンドヘッド登頂は不可能となってしまったわけです。このダイヤモンドヘッド入山禁止の話はこちらをご覧ください。

karajanjan.hatenablog.com

 

トロリークーポンGet!

予定していた計画がなくなり、ちょっと時間を持て余していたところ、いつもお世話になているHiltonの私たちの担当の方から、「HISがトロリー無料イベントをやっているから、よかったらトロリーの旅に行ってみたら?」とLINEで連絡をくれたんです。実は、ハワイでたくさん走っているトロリーバス。色々な観光スポットに行くことができて便利なのですが、まあまあ乗車代がかかる。街中を走っている「The Bus」。日本でいう都バス、東急バス、国際興業バスみたいな感じです。こちらは1乗車につき3$なので、安いのですが、観光地だけに止まるわけではないので、使い勝手が悪いことがあります。一方、トロリーの方は、観光コースごとにラインが出ていて、観光客にはとても便利!しかし、基本的に1日乗り放題チケットを購入しなければならず、安くても20$ほど。たくさん利用できれば高くはないのですが、観光地の往復だけではちょっと二の足を踏むかも‥‥(ちなみに、ピンクラインと言われているトロリーはJCBカードを持っていると、無料で乗車できます。ピンクラインは毎年我が家も利用しております)。

そんな我が家に「トロリー無料イベント」の連絡が!Hiltonの敷地内にHISのラウンジがあるので、すぐにラウンジへいってみると、確かに無料イベントをやっていました!

色々なラインがある中で、我が家は「ブルーライン」と呼ばれている、ハワイの東海岸の絶景を巡る約2時間のトロリーバスの旅ができる乗車クーポンをいただくことができました。

ブルーラインの旅

今まで、あまりハワイの東側に行っていなかったので、ものすごく期待してブルーラインに乗車することになりました。しかし、このブルーラインの旅、かなり人気で、出発の15分くらい前に集合場所のロイヤルハワイアンセンター内のワイキキ・ショッピングプラザ前に行ってみると長蛇の列が。乗ろうとしていたバスには満席で乗ることができませんでした。仕方なく1本見送り、次のバスに乗ることにしました。1時間待ち時間ができたので、ちょっと買い物をして時間を潰しました。バスを待っている間に、数日前にこのブルーラインの旅に行った方日本の方から「バスの右側に座らないと絶景の海が見えないから、右側に座りなさい」と耳寄りな情報をいただきました!感謝です!

よし、右側の座席をと意気込んでいたのですが、私たちの乗るブルーライン、なんと我が家族を含め、あと3家族くらいしか利用者がいませんでした。みんな、1本前のバスの時間が都合がよかったのでしょうね。というわけで、みんな右側の座席に座り、絶景を楽しむことができました。ブルーラインについてのホームページのリンクを張っておきますね。ハワイに行かれる方は見てみてください。

オーシャンビューライン ブルー - Waikiki Trolley

 

絶景!

トロリーに乗り込み、ワイキキ水族館を越えたあたりから、絶景スポットが続きます。こんな青い海が目の前に広がってくるんです。トロリーは途中の駅で止まってくれて、15分くらい撮影のために時間をとってくれます。本当に心が洗われる風景ですね。

      

海だけでなく、ココヘッドという山も間近に見ることができますよ。

       

 

ジュラシックパークが撮影されたと言われる海岸も通りました。

            

 

こちらは、シー・ライフ・パークの入り口で撮影したモンクシールです。シー・ライフ・パークはハワイ最大級のマリンパークです。今回のブルーラインの旅では入り口付近のみ入って、少しだけ中の様子を見れるプランだったので、次回、ハワイに来た時には、しっかりと行ってみたいと思いました。

              

さらに、このシー・ライフ・パークからこんな風景も見られましたよ。ラビットアイランドと呼ばれている島です。こんな近くで見たのは初めてでした。

              

この他にも、マカプウ岬、ハロナ潮吹き岩など、豪快な大自然を満喫できました。写真でしたが、お楽しみいただけたでしょうか?

 

やっぱりハワイの自然はいいですね。

日本の自然も気になるようになりました。

 

このブルーラインの旅、絶対にお勧めです!ハワイに行かれた際は、是非、お乗りになるといいですよ。

それでは!

 

ザビーネ・マイヤー事件を考える

シルバーウイーク、始まりましたね。天気はあまりよくありませんでしたが、ゆっくりと音楽を楽しむにはかえって好都合かもしれませんね!

さて、今回は昨年、クラリネット奏者を引退した、女性クラリネット奏者、ザビーネ・マイヤーに関する事件について考えてみたいと思います。

 

ザビーネ・マイヤー事件といえば、カラヤンとベルリン・フィルに亀裂が入るきっかけとなった出来事です。

 

 

ザビーネ・マイヤーとは?

1981年、ベルリン・フィルが、首席クラリネット奏者に欠員が生じたため、団員を募集しました。そのオーディションに参加したのが、当時、20代前半のザビーネ・マイヤーでした。こんな方です。

           

マイヤーの演奏を聴いて、カラヤンは彼女の音を絶賛♫カラヤンの推薦もあり、1年間仮採用となりました。ただ、ベルリン・フィルには独自のルールがあって、その後、団員投票によって、正式に団員として採用するかを決めることになっていました。音楽監督であるカラヤンの意向よりも、団員の投票での決定権の方が強かったんです。カラヤンは当然、彼女をベルリン・フィルが受け入れるだろうと思っていたし、受け入れるべきだと考えていたのでしょう。しかし、団員たちの投票結果は「NO!」だったのです。

 

「NO!」の理由は?

マイヤーのクラリネット奏者としての実力は、恐らくほとんどの団員が認めていたのだと思います。世の中も、彼女の卓越したテクニックやその音色を褒めたたえていました。しかし、ベルリン・フィルは、特に管楽器セクションのメンバーは彼女の入団に「NO!」のジャッジをしたんです。その理由は、「マイヤーの音が、ベルリン・フィルに溶け込まない」「ベルリン・フィルの音にマッチしていない」というものでした。

この決断に対し、カラヤンは大激怒。ここから両者の間に大きな亀裂が入って、修復できない冷たい関係へと進んでしまったと言われています。

 

団員の判断は正しかったのか?

ここまではご存知の方が多いと思います。マイヤーのクラリネットが素晴らしいことは誰もが認めていたんでしょう。マイヤーがベルリン・フィルに入って、演奏している様子は、カラヤンの映像作品で観ることができます。ベートーヴェンの交響曲では何曲か吹いていますし、R・シュトラウスの「アルプス交響曲」の演奏でも見事なソロを奏でています。私個人としては、全く違和感なく「素晴らしいカラヤン&ベルリン・フィルの演奏だ♬」と思いながら映像作品を楽しんでおります。団員の方々が仰っていた、音が合わないとは思いませんでした。しかし、プロ中のプロである、ベルリン・フィルの管楽器セクションの皆さんがそういうのだから、間違いはないのかもしれません。ですが、ちょっと思ったことがあるんです。

ゴールウェイの音は?

1970年代、ベルリン・フィルには伝説のフルート奏者が首席を務めていました。そう、ジェームズ・ゴールウェイです。

                 

「黄金のフルートを持つ男」という通称で世界に知られていました。とにかく音色が明るく、音楽性に溢れ、素晴らしいフルート奏者です。音楽番組の解説などでは「ゴールウェイの音色はすぐにわかりますね」などと言われていました。確かに素晴らしい音色です。さすがベルリン・フィル。こういった奏者が他のパートにもいるわけですね。

ちょっと待ってくださいよ。「ゴールウェイの音色はすぐにわかる」。この表現を別の角度から考えてみましょう。個人的にこのように解釈してみます。「ゴールウェイの音は浮いて聴こえるよね」いかがでしょう?個性的だからこそ、他の音と区別がつく。そう、個性的ということは、もしかすると、オーケストラの音に溶け込んでいないのではないでしょうか。フルートの音色だけとびぬけているとしたら、それはバランスとしてはおかしい可能性があります。しかし、ゴールウェイに対して、「ベルリン・フィルのサウンドに溶けていないぞ!」と指摘した人はいないのではないでしょうか?

もっとも、聴き分けられる個性と、溶け込みの問題は必ずしも同じではないはずなのに、ゴールウェイは問われなかったわけです。

「音が溶けない」は採用「NO!」の本当の理由ではないのでは?

となると、マイヤーのクラリネットの音がベルリン・フィルのサウンドに溶けないというのも、ゴールウェイの例と同じ可能性があるのではないでしょうか?もしかすると、「マイヤーはゴールウェイほど抜きん出て上手かったわけではないから、団員の判断は正しい!」と仰る方がいるかもしれません。それも一理あるでしょう。しかしです、マイヤーは、ベルリン・フィルから「NO」を突き付けられてから、クラシック音楽界で素晴らしい演奏を積み重ねていくことになります。ソリストとしても多くの場面で起用されています。こんなに名前を聞くクラリネット奏者は、あまりいないのではないでしょうか?ゴールウェイほどの格ではないかもしれませんが、ベルリン・フィル団員よりも、マイヤーの活躍ぶりの方が目を見張るものがありました。ですから、やはりマイヤーは上手なんです。でも、上手だからこそ、「NO!」と言われたのではないでしょうか。ここからは完全に想像になってしまうのですが、1980年代前半までは、ベルリン・フィルはほぼ男性社会でした。女性団員は弦楽器奏者で数人いた程度だと思います。そんな中に20歳を過ぎた綺麗な女性が首席奏者として入ってくる。どうです?中年男性陣がこれを受け入れると思いますか?受け入れないでしょうね。ゴールウェイは男性でした。残念ながらここに男女差別があったのではないかと思うんです。時代があと20年遅かったら、2000年代であれば、マイヤーは受け入れてもらえたかもしれませんね。

 

ルツェルン祝祭管弦楽団でも活躍

あと20年遅かったらと書きましたが、なぜ、私がそう書いたか説明したいと思います。カラヤン亡き後、ベルリン・フィルの音楽監督に就任したクラウディオ・アバドが、スイスのルツェルンで開かれる「ルツェルン音楽祭・夏の音楽祭」において臨時編成される伝統あるオーケストラ、ルツェルン祝祭管弦楽団の芸術監督に2003年に就任します。この臨時編成オーケストラは様々なオーケストラの第一線で活躍している奏者が選ばれて参加しており、ベルリン・フィルからも多くの奏者が参加していました。フルートのエマニュエル・パユ、オーボエのアルブレヒト・マイヤーなど、現在でもベルリン・フィルの首席を務めている方々です。弦楽器にもチェロやビオラでベルリン・フィルの奏者が数多く参加しています。そこに、クラリネットのトップとして、ザビーネ・マイヤーが何年にもわたって参加しているんです。

もちろん、このオケはベルリン・フィルではありませんが、ベルリン・フィルのメンバーが数多く参加している中で、ザビーネ・マイヤーが彼らと肩を並べて名演を繰り広げている。ということは、このルツェルン祝祭管弦楽団に参加しているベルリン・フィルのメンバーはマイヤーと一緒にいい音楽を奏でることができると考えているのではないでしょうか。臨時のオーケストラだから、適当でいいとは誰も思っていないでしょう。逆に、この臨時オーケストラにマイヤーの音が溶けこんでいるとも思っていないことでしょう。素晴らしいメンバーで、自然と調和した音楽を奏でようと考えていると思います。なので、アバド時代の管楽器奏者、特にパユやアルブレヒト・マイヤーなどは、ザビーネ・マイヤーがオーディションを受けていたとしたら、入団を受け入れたのではないかと思うんです(個人的にはクラリネット首席奏者のフックスの音色の方が個性的で、オケには溶け込まないような気がします)。

現在までのザビーネ・マイヤーの活躍ぶりを見ると、カラヤンがベルリン・フィルに入団させたかった気持ちはよく分かるし、入団していたら、かなりベルリン・フィルに貢献していたのではないかと思います。カラヤンは見る目がありましたね!録音や録画の技術に対し「あと10年遅く生まれてくればよかった」とカラヤンは語っていましたが、女性のオーケストラ入団に関しても、同じように「あと10年、20年遅く生まれていれば‥‥」と心の中で思っていたかもしれませんね。

しかし、このマイヤー事件の前から、カラヤンとベルリン・フィルには亀裂が入っていたのでしょう。カラヤンのパフォーマンスを拒否するというオーケストラ側の雰囲気が醸成されていたのかもしれませんね。カラヤンが若い綺麗な女性を入れたがっていただけと非難したメンバーもいたとか。

結論としましては、男性がまだ一人の女性を受け入れる社会になっていなかった、そんな空気があったことが原因だったのでしょう。

ルツェルン祝祭管弦楽団の映像を観ながら、そんなことを考える1日でした。