karajanjanの日記

カラヤンについて語りましょう

「ラ・ボエーム」で考えること

いよいよ年の瀬も迫ってきましたね。

本日は歌劇「ラ・ボエーム」について昔から思っていたことがあるので、綴ってみたいと思います。

これを書こうと思ったきっかけは、先日Eテレでこの歌劇が放送されたことでした。みっちーこと井上道義さんが今年で指揮者を引退すると報道され、驚かれた方は多いのではないでしょうか。その井上さんが選んだ最後の歌劇が「ラ・ボエーム」とのことで、ゆっくりと視聴しました。井上さんのアイデアでしょうか?普通は登場しないダンサーや幕間に大道芸をいれるなど視覚的にも構成的にも面白く仕上がっていたように思います。歌手の好みは色々とあると思いますが、私は全体的にとてもよかったと思いました。オケが通常よりも見えている高さで演奏しているのも特徴的でしたね。そのおかげで、井上さんの指揮ぶりもばっちり見れます。ただ、舞台に集中してオペラを観たい人にとってはちょっと演奏者が邪魔だったのかもしれません。テレビでの視聴では、アップすべき場面はきちんと舞台をとらえているのでストレスなく見ることができたのではないでしょうか。

さて、本題のこのオペラに関して昔から思っていたことを綴りたいと思います。

それは、第1幕のミミの登場です。ミミな病弱なキャラクターとして登場します。最終的には亡くなってしまう、か弱い女主人公という設定だと思います。なので、そういう歌い方をしたり、声を出してもらいたいんです。実際のオペラとなると、(失礼な話になりますが)キャラクターと見た目がマッチしないケースはままあるので、そこはいいとしても、演技もあまり健康的でない動きをしてもらえれば申し分ないと思います。特にミミが自己紹介をする有名なアリア「私の名はミミ」。このアリアは控えめで粛々と歌って欲しいと思うのは私だけでしょうか?そもそもオペラは現実の世界とは違うので、仕方がない部分はありますが、か弱い女性が初めて会った男性に自己紹介するとき、声を朗々と張り上げてダイナミックに歌うべきでしょうか?それに加えて、ミミは病弱で、このアリアの直前は具合が悪く、顔色も悪いはず。ですが、このアリアを朗々と大音量で、これでもか!と満足げな表情で歌う歌手が多いこと。まあ、その歌い方を許している指揮者にも問題があるのかもしれませんね。または、そう歌いたくないのに、そのように歌わせている指揮者や演出家がいるのかもしれません。確かにこのアリアは美しく、とても盛り上げて演奏することができる素晴らしい音楽だと思います。演奏したり、歌っていると気持ちよくなることでしょう。しかし、それで本当にいいのでしょうか?

このアリア、よく新人の歌手の発表会で選ばれているようです。良いメロディーなので、歌いたいと思うソプラノの方は多いでしょう。歌い終わると思い通りの声が出せ、ドラマチックに歌えて満足した表情を浮かべて舞台から下がる人が多い印象があります。また、歌っている最中は、腕を大きく広げ高音を太い音で長く伸ばしている。とても豪快な歌いっぷりを披露する人が少なくありません。ですが、このオペラの設定を理解しているのか?と思うんです。私が親しくさせていただいていた、素晴らしいソプラノ歌手の方が(もう亡くなられてしまい残念ですが)「みんなミミを元気に歌い過ぎよ!」と仰っていたのが本当に印象に残っています。その通り、ミミはそんなに元気でも、オープンな性格でもないんです。そういうミミを聴きたいんです。

そこで、私が「ラ・ボエーム」の中で一番いいと思う演奏を紹介します。こちらです。

             

私の大好きなカラヤンの演奏になります。カラヤンは映像作品として1965年にミラノ・スカラ座でこの「ラ・ボエーム」を作り上げています。この演奏もかなり賞賛されていますが、この映像は映画テイストの作品なので、舞台を映し出したものとは違っています。(「オテロ」・「蝶々夫人」・「カルメン」なども映画テイストですね)こちらのCDはベルリン・フィルと1972年に録音したものです。(ライブではありません)

スカラ座との録画と歌手は少し入れ替わっています。大きな交代はロドルフォ(詩人)がパヴァロッティになったことでしょうか。ミミは今回もカラヤンのお気に入りのミレッラ・フレーニです。

このフレーニのミミが素晴らしいと思います。フレーニはカラスなどに比べれば声質の細い部類に入るかもしれませんが、ドラマチックに色々な役をこなせる名ソプラノだと思います。そのフレーニが、声を抑えて(抑えてというより少し余裕を持ってと言った方が適切かもしれません)「私の名はミミ」のアリアを歌っています。もっと声を張り上げ盛り上げることができるでしょう。しかし、そう歌うのではなく、高音をかすかな声でソフトに引っ張って歌っています。フレーニ自身がそのように歌おうとしたのかもしれませんが、カラヤンがそう歌うべきだと言った可能性もあるかな?と思っています。ただ、カラヤンがそう言ったところで、フレーニ自身が納得し、さらにフレーニ自身がそれを実際に歌う技術を持っていなければこの演奏にはならなかったと思います。朗々と高音を歌うよりも、つつましやかに高音を出して優しく歌う方が数段難しいのではないでしょうか。それを体現しているこのCDのアリアは絶品だと思います。このアリアを朗々と歌う演奏を好んで聴いている方は、是非、この「抑え目のミミ」を聴いてみてください。

このアリア以降はミミはロドルフォに心を開き、体調もやや戻りつつあるので、テノールパヴァロッティとともに朗々と歌い出します。このアリア後から、3幕のミミが最後にやって来る場面までは比較的元気な社交的なミミとして歌っていていいのだと思います。フレーニは実にこれをうまく分けて歌っていると思いました。

オペラでは、この「ラ・ボエーム」以外でもキャラクターと歌い方が合っていないケースが散見されます。オペラは色々な場面があるので、自分の価値観と完全にマッチした演奏と出会うのは難しいことだと思いますが、自分の思いがきちんと表現されている演奏、解釈に出会えるととても幸せな気分になりますよね。私は、フレーニのミミに、カラヤンの「ラ・ボエーム」に出会えて幸せだと思いました!

皆さんにもそんな出会い、ありますか?