karajanjanの日記

カラヤンについて語りましょう

歌劇「ペレアスとメリザンド」

今日は暑かったですね。30度近くになるというので、午前中に犬の散歩をしてきました。

そして午後のひと時、今日は珍しくドビュッシーの作品を聴いてみることにしました。私はあまりフランス音楽が得意ではないので、ドビュッシーもあまり多くは聴いていません。たまにベルリオーズラヴェルやフランクを聴くくらいでしょうか。オネゲルフォーレはもっと頻度が少なくなります。

ドビュッシーといえば、交響詩「海」や「牧神の午後への前奏曲」、「ベルガマスク組曲」、「亜麻色の髪の乙女」が有名ですよね。自分も「海」は演奏したことがあります。しかし、今日はあえて歌劇「ペレアスとメリザンド」を聴いてみました。

今日聴いた演奏はこちらです。

              

禁断の恋を描いた「ペレアスとメリザンド」。シベリウスフォーレシェーンベルクもこの作品を題材に作曲していますね。そんな中、ドビュッシーはこれを題材としてオペラを作曲しました。いったいどんな曲で表現されているのだろうとCDのスタートさせてみたところ「あれ?交響詩「海」が出てきた?」「あれ?「牧神」?」となんとなく聴き覚えがある、ドビュッシーのメロディーがいろいろと混在して登場します。決して「海」や「牧神」のメロディーがそのまま出てくるというわけではないのですが、それらの曲を思わず思い浮かべてしまうメロディーではないかと思います。(裄野條さんの「カラヤン幻想」という本の中でも「最初に聴いたときは《牧神の午後への前奏曲》が途方もなく長く続いているだけと感じました」と綴っています。)悪く言うと、あまり音楽に大きな抑揚はなく、淡々と流れていく。良く言えば、静かな音楽が緊張感をもって持続していく。そういった作品の性質上、普通にうまいだけの演奏では聴いていて飽きてしまうと思います。まだDVDなどの映像としてこのオペラを見ていれば飽きは来ないかもしれませんが(ただ、オペラでもそれほど大掛かりなセットや大きな動きは必要のない作品のような気がします。ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」も同じかもしれませんね。逆に奇を衒った変な演出が作品の邪魔をすることがあるような気がします)、色々な面で難しい作品のような気がします。

CDとして、音楽だけで聴いていると、盛り上がりが決して多くはないこの作品をあえて録音している指揮者は、かなりこの音楽づくりに自信があるのではないかと思います。中途半端な音楽づくりでは、本当に何をやっているのだかわからないドビュッシーのメロディーの繰り返しだけになってしまうでしょう。そういった意味で、カラヤンは本当に飽きさせない世界を創造していると思います。音が一つ一つ丁寧で、流れがとても自然です。カラヤンのレガートを強調する音楽づくりにマッチした作品と言い換えることもできるかもしれませんね。全曲を通して約2時間30分ですが、意外にさらっと聴けてしまいました。さすがカラヤンですね。ですが、この演奏を聴いたからといって、「他の指揮者の演奏と比べてみたい!」とは思えませんでした。本当に他の「ペレアスとメリザンド」を聴いてみたいと思うことがあれば、比較の記事を書いてみようかと思います(しばらくないと思いますよ)。

この録音は1978年、ベルリン・フィルと行ったものです。カラヤンは実に効率的なシステムを作り上げたことでも有名で、オペラの録音を行い、その録音を使って、プローベ(練習)を行い、本番上演後にそのCDが販売されるという流れです。録音を使って舞台の動きの練習が出来たり、オケがいなくても、録音で歌手たちの練習ができたりと、練習面でもいい影響があったようです。ですが、この「ペレアスとメリザンド」に関しては、この録音した年代近辺にオペラの上演記録がないんです。レハールの「メリー・ウィドウ」、プッチーニの「蝶々夫人」も上演と関係なく録音だけされているのですが、この2つ作品は「ペレアスとメリザンド」と比べて有名で、録音だけでもする何らかの意味が見出せそうなのですが、「ペレアスとメリザンド」はどうして録音されたのでしょうね。先程紹介した裄野さんの本の中では「レコードセールスという損得勘定を抜きにして、カラヤン自身が最も録音したかったオペラの一つではないか」とお書きになっています。カラヤン自身、「録音だから可能な音楽がある」と述べていました。このドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」もまた、実演ではうまくいかないが、録音した音楽であれば完璧に表現できる世界があるとカラヤンが判断したのかもしれませんね。生演奏は本当に素晴らしいと思いますが、生ではできない音楽があることもまた真実なのではないでしょうか(それがいいかどうかは別として‥‥)。