karajanjanの日記

カラヤンについて語りましょう

流れが大切♫

カラヤンのCDは編集を繰り返し、完璧さを目指して商品化されているために、音楽に心がない!」などとよく言われていました。確かにライブレコーディングであればミスはあるものの、それを含めて臨場感があり素晴らしいと一般的に思われていることでしょう。(ライブレコーディングが本当にライブそのものを録音したものかどうかは、以前記事に書き込んだの、そちらをご覧いただければと思います)カラヤンはその逆で、録音をつなぎつぎして人工的に作り上げた音楽と評されています。カラヤンの多くの録音作品の中に、そのようにして作り上げたものがあるのはその通りだと思います。しかし、すべてがそうではないのも事実です。1つの楽章を一気に録音してそのテイクが使われているといった解説がされている録音も存在しています。その解説が嘘だと言う人もいるかもしれません。その人に一気に録音した証拠を示すこともできません。でも、カラヤンがあらゆるミスを修正した作品を作っていたかというそうではないことは証明できます。

 まず、お得意のR・シュトラウスの「家庭交響曲」。この曲は交響曲といっても、交響詩的な作品です。R・シュトラウスの作品をかなり複数回録音しているにもかかわらず、1973年に1度しか録音していないんです。それも演奏旅行中のパリでの録音。

                

 この録音について、カラヤンはかなり満足していたそうです。しかし、この演奏の後半、トランペットが高いCの音を外しているんです。しかも派手に!こんなに派手に外しているにもかかわらず、編集をしていないんです。ここ以外、これといってミスは聴き取れないので、この部分だけ撮り直して、編集することはできたはずなのに、カラヤンはあえてこのままリリースしたわけです。

 次に、チャイコフスキーのバレエ組曲「眠れる森の美女」。これもトランペットが響き渡る部分で、ペロっと音を外しています。この演奏はベルリン・フィルとのものですが、ウィーン・フィルの演奏よりも勢いがあり素晴らしいと思います。そのCDがこちらです。

                

 最後に、同じくチャイコフスキー交響曲第4番。これまた、1楽章のトランペットのファンファーレでミスが‥‥。これはド派手に外しているのではなく、ちょこっと外している感じです。初めて聴いた時は「えっ!」と思いました。聴きなれると流せるミスなんですけどね。

                

 今回、トランペットのミスばかり指摘しましたが、本当にミスのない完璧な作品に仕上げたいのであれば、この部分を編集して差し替えることも可能だったはずです。それなのにあえてミスのままOKを出したということは、カラヤンは必ずしもミスのない演奏をよしとしたわけではないということなのではないでしょうか。むしろ、ミスはあっても、音楽の勢い、流れに納得がいった録音であればそれでOKとしていたと考えられないでしょうか?この他にもアンサンブルが乱れているもの、打楽器がずれているものなど色々とミスはあります。しかし、カラヤンはあえてその部分を編集しませんでした。なぜそのままにしたのか、その意図を是非色々な人に考えてもらえたらいいなぁと思います。編集をして意味のある曲と、そうではない曲。カラヤンは自分の中でその線引きをしていたのだと思います。