karajanjanの日記

カラヤンについて語りましょう

しっくりこない宗教曲

まもなく師走ですが、なんとも温かな気候ですね。

さて、宗教曲が大好きな私ですが、超有名な宗教曲で2曲ほど自分の中でしっくりこないものがあるんです。

1つ目がバッハの「ミサ曲ロ短調」。そしてもう1曲がベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス(荘厳ミサ曲)」です。

バッハもベートーヴェンも基本的には大好きなのですが、なぜかこの2曲の”響き″がしっくりとこないんです。感覚論で申し訳ないのですが、要所要所で自分にとって心地よくないハーモニーが聴こえてくる気がします。決して調性の問題ではないと思います。特にベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」はなぜかなかなか聴こうとしなかった自分がいました。ベートーヴェンの大曲のこのミサを全く聴きたいと思えなかったんです。ようやく重い腰をあげて、聴いたのですが、予想通りと言いますか、他の宗教曲のような感動は得られませんでした。「ミサ・ソレムニス」を初めて聴いた時は、カラヤンではなく、バーンスタインアムステルダムコンセルトヘボウのCDの演奏でした。その後、カラヤンを聴いてみましたが、どちらもしっくりときませんでした。恐らく、演奏者の問題ではなく、この曲と私の相性がいまひとつなのでしょう。グローリアがちょこまかしているうえにちょっとうるさい気がします。クレドの部分は逆に軽すぎでは?と思ってしまいます。

それがバッハの「ミサ曲ロ短調」にも言えます。この曲を聴いてみようと思ったのは、カラヤンの映像作品「カラヤン・イン・ザルツブルク」の中で、韓国のソプラノ歌手、スミ・ジョーがこの曲のリハーサルをカラヤンとする場面が収録されていたことがきっかけでした。このリハーサルの部分のメゾ・ソプラノとの二重唱はとても美しく、綺麗だと思いましたが、冒頭や随所にみられる強奏の響きが私にはちょっとギラギラしているように聴こえるんです。なので落ち着いてしっくりと聴いていられなくなってしまうんです。

現在、所有しているのがカラヤンのこのCD。

          

 

あまり一般的な音楽評論を鵜呑みにするべきではなく、自分の感覚で楽しむことが大切だと思っている私ですが、この2曲の宗教曲に関しては、カラヤンはあまりうまく演奏できていなかった的な話題をよく見かけますが、その通りなのかもと思っています。

ロ短調ミサは、カラヤンが若かりし頃、1度録音をし、それが大変すばらしかったそうです。(この録音も私は聴いていません)この若かりし演奏を上回る録音にすべく、満を持して70年代にベルリン・フィルとレコーディングに臨んだのがこの演奏なのですが、録音後、カラヤン本人、思うようにいい演奏ができなかったと漏らしていたそうです。昔の自分を超えられず、失望感を覚えたプロジェクトになってしまったようです。この演奏の評判もあまり芳しくないものが多いですね。(カラヤンマタイ受難曲は評価が分かれますが、私は好きです。よく聴いていますよ♫)

ミサ・ソレムニスは3度録音(3度目の録音と映像作品がほぼ同時期)していますが、評価的には、精神性があまり感じられない表面的な響きの演奏と言われる傾向にあるようです。(この評価はカラヤンのどの演奏に付けられるものではありますが)

たまたまですが、この2曲に関してはカラヤンの演奏、解釈はあまり好みではありません。音楽批評にあまり流されない私ですが、この2曲は評論家の方々と同じ感じ方をしているかもしれません。というよりも、先ほども書きましたが、カラヤンの問題ではなく、誰が演奏しても、私にはしっくりとこない曲なのかもしれません。

なのに、どういうわけか、この2曲を続けて聴いてしまいました。どうしてそんな聴き方をしたのかは??です。

今回は自分が直感的に合わないと思う曲を取り上げてみました。

この2曲が大好きな方には申し訳ないブログでした。私が、「こんな素晴らしい演奏があったんだ!」と思えるものがありましたら、是非教えて下さいね。