karajanjanの日記

カラヤンについて語りましょう

カラヤンのバルトーク

ここのところ、小澤さんの追悼番組が色々と組まれていますね。昨日もEテレで1993年に放送された特集を放映してました。その中で、小澤さんが「バルトークカラヤン先生の得意な曲で、その当時よくベルリン・フィルとよく演奏していた。なので、自分にもバルトークに挑戦するようにとプログラムに入れてくれた」というようなエピソードを語っていました。確かに、カラヤンバルトークは結構話題になっているような気がします。最近はバルトークを全然聴いていなかったので、改めて聴き直してみました。

私が所有しているカラヤンバルトークは以下のCDです。

            

曲は「管弦楽のための協奏曲」です。ドイツ・グラモフォンの演奏が1965年、イエス・キリスト教会での録音。東芝EMIの演奏が1974年、ベルリン・フィルのホールでの録音です。いずれもオーケストラはベルリン・フィルです。

演奏時間に関してはほぼ変わりません。(最初がグラモフォン、後がEMI)

1.序章        10:03      9:51

2.対の遊び      6:45   6:47

3.悲歌        8:10   8:07

4.中断された間奏曲  4:15   4:22

5.フィナーレ     9:18   9:13

といった具合です。

個人的な印象ですが、1.序章は、旧録音の方が秒数の差よりもゆったり聴こえる気がします。

どちらの演奏がいいかは本当に好みの問題になるかと思われます。私は響きがより豊潤な感じのする旧録音の方をお勧めします。新録音は実に細部まで聴きとることができる演奏です。その分、世界観が少し狭くなっているような気がします(でも、演奏技術などは物凄いですよ♫)。ちょっときれいさっぱりまとまり過ぎてしまったのかな?と感じます。完璧に近づくと、温かさなどが感じ取りづらくなる。コンクリートの建物は素晴らしいけど、多少欠陥があっても、木造の建物に比べたら冷たくて、魅力が減ってしまうなんていう話も耳にしますが(決してコンクリートの建物が悪いわけではありませんよ)、それと同じかもしれませんね。旧録音の方が全体的に熱量を感じる気がします。

録音場所の違いも聴く印象を大きく変えているかもしれません。ベルリン・フィルのホールで録音をするようになり、理想の音響のもとで録音でき、リスナーも同じ理想の響きと感じ取れた演奏もあれば、ホールの録音に違和感を覚えて方もいることでしょう。70年代中盤のホールでの演奏は、私は「やや管楽器が遠く鳴っているなぁ」と感じることがあります。まあ、ミキシングでいかようにも変えることはできるので、ホールだから遠く聴こえるわけではなく、カラヤンの好みの遠さなのかもしれませんが、トランペットとトロンボーンは最初と最後の楽章でもっと前面に立って聴こえてきて欲しいかなと思います。旧録音は自分にとっては実に心地よいダイナミックスレンジになっていると思います。

2.対の遊びでも、打楽器の響きが旧録音の方がより鮮明に響いて聴こえてくる気がします。スネアの音が実にリアルです。新録音はちょっと音がこもっているというか、やはり若干遠いのかな?と感じてしまいます。

3.悲歌は旧録音の方が重たいです。楽章の題名通りですかね。低音がビンビン響いてきます。そして、「タタタタ~」と4つ音が並ぶフレーズを実に丁寧に(若干ゆっくりにして)演奏しています。これは小澤征爾さんがタングルウッド音楽祭の指導の中で生徒たちにレクチャーしていたことなのですが、「ハンガリー語は基本的に語の頭にアクセントが来るから、音が並んだ時に、1つ目の音に重きを置かないとバルトークらしくならない」と仰っていました。まさに、そのことが行われている演奏ではないかと思います。1個目の音が重く、とても丁寧です。新録音はこの音型が悪く言うと流れてしまっています。スマートに音楽が流れ過ぎていると言えばいいでしょうか。

4.中断された間奏曲、これは新録音の方が明るさが出ているかもしれません。旧録音は重厚で素晴らしいのですが、もうちょっとユーモアの要素があった方がいいかもしれません。ショスタコーヴィッチの曲をちょっとパロディ化したと言われている楽章なのですが、グリッサンドや茶化したような和音にまじめさがつきまとっていて、硬い感じがします。それが新録音の方はだいぶ柔らかくなっているように感じられました。でももっと遊んでもいい部分ではないかと思います。これはカラヤンの生真面目さが影響しているのでしょう。マーラーの柔らかい楽章(例えば9番の2楽章など)でも遊びきれていない音楽になっている気がします(ここはさすがにバーンスタインの遊び心に軍配が上がる気がします)。旧録音はちょっとシベリウスの「トゥウネラの白鳥」のようなワールドに聴こえてしまうかもしれませんね。

5.フィナーレはどちらの録音も素晴らしいです。スピード感といい圧力と言い文句のつけようがない演奏ではないかと思います。ただ、新録音のトランペットソロが不安定です。でも、ここは難しいんです。音が飛ぶし、低い音も吹かなければいけない。トランペットとしては中音域から高音域にかけてのソロは比較的やりやすい。でも低音が絡んで跳躍があるといっきに難しくなります。この楽章のソロは低音から高音までムラなく吹かなければいけない難しいソロなんです。それを知っていれば許容範囲なのですが、ソロに入って聴き入っていると、音程の不安定さで一瞬「あっ!」と思ってしまいます。それに比べると、旧録音は安心して聴くことができます。曲の終わりも、新録音の方はリタルダントなどあまりかけずに、さらっと終わってしまいます。もう少し粘ってもいいのにと思ってしまいます。旧録音もそれほどテンポを変えるわけではありませんが、こちらの方が「曲が終わった♫」と思えるテンポどりをしているように聴こえました。

ということで、全体的に旧録音の方が内面的に充実しているのではないかと感じた次第です。ちょっと濃厚目な感じのケーキがいいか、甘さ控えめのあっさりとした口当たりのケーキがいいか。その違いかもしれませんね。

ここまで、カラヤンの「管弦楽のための協奏曲」について綴ってきましたが、私は小澤さんのバルトークがとても好きです。

               

もともとこの「管弦楽のための協奏曲」はクーセヴィツキがボストン交響楽団にために作曲するよう依頼した曲ということもあり、ボストン交響楽団の演奏がとてもはまっている気がします。スピード感、構成力(4楽章のパロディのおちゃらけもばっちりだと思います)、技術、どれをとってもいいのではないかと思います。カラヤンの演奏だけでなく、この演奏も是非、聴いてみてください。