karajanjanの日記

カラヤンについて語りましょう

チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲 ニ長調

チャイコフスキー交響曲も素晴らしいですが、協奏曲もいいですよね。私はチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲が大好きです。ヴァイオリン協奏曲の中では、自分はブラームスの協奏曲とチャイコフスキーの協奏曲が特に好きですね。

チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を1番初めに聴いたのが、アバド指揮、ナタン・ミルシュテインのヴァイオリン、ウィーン・フィルのCDでした。最初のうちはこの演奏を比較的気に入っていたですが、「自分にとってはこのテンポは速いな」と感じるようになりました。「オケの出だしも、ヴァイオリンのソロが始まってからも、もうちょっとたっぷり演奏してもらえないかな?」と思っていたところ、図書館で目にしたのがこのCDでした。カラヤン指揮、アンネ=ゾフィー・ムターのヴァイオリン、ウィーン・フィルの演奏です。

               

CDをかける前は、「カラヤンチャイコフスキーはたぶん速いんだろうな」と思いながらスタートボタンを押しました。すると、なんともゆったりとしてテンポでスタートするではありませんか!ムターのヴァイオリンを聴きもしないうちに、「これだ♫」と思った次第です。モーツァルトのジュピター同様、ゆったりとしたテンポ感が、マエストロ・カラヤンと今回も一致したわけです。そして、その冒頭のテンポを受けるかのように、ムターのテンポもゆったりしていて、ポルタメントをたっぷりとかけての演奏♫もう1楽章だけでも大満足でした。1楽章がゆっくりがいい理由がもう1点あって、それは中間部のトランペットのファンファーレが3回ほど出てくるんです。そのファンファーレを自分ならたっぷりと吹きたいという思いがあったからです。速く音を立てて吹くのもありかな?とも思いますが、なぜかゆったりといい音で奏でたいなぁと思っていました。(残念ながらこの曲はまだステージで吹いたことがないんです。もう無理かな‥‥)

2楽章はカラヤンらしいゆったりとした若干重ための演奏です。もう少し爽やかな感じを求める人は多いかもしれません。私は哀愁を帯びた感じで好きですよ。ウィーン・フィルのメンバーはもう少し前に行きたがっているような感じを受けますね。しかし、さすがウィーン・フィル木管のソロの素晴らしこと。

3楽章は全体的にもう少し速くてもいいかなと思います。後半が少しだれ気味かもしれませんね。実はこの演奏はザルツブルク音楽祭のライヴ収録。おそらく、ライヴ録音でなければ、もう少しきびきびとしたテンポに撮り直したか、部分的に修正を加えて、少し速く聴こえるようにしたのではないかと思います。しかし、全体的には重量級のヴァイオリン協奏曲に仕上がっていると思います。私はこの曲はとにかくスケールの大きな曲だと思っているので、速く軽く弾かれるよりも、カラヤン&ムターのような演奏の方がいいなと思います。

この協奏曲、カラヤンは得意にしているのかと思いきや、そうでもなさそうなんです。実は、演奏回数が少ないんです。何回だと思いますか?

正解は「9回」しかないんです。カラヤンの演奏会記録ではそうなっていますが、漏れている演奏会もあるとは思います。それにしても、あのカラヤンのキャリアの中でこの曲が演奏会では9回しか取り上げられていないなんてちょっと驚きですよね。この曲のソロはムター以外にはオイストラフも担当していたようです。レコーディングではクリスティアン・フェラスが1度録音していますね。

                

フェラスとの録音でもカラヤンのスタンスはそう変わっていない感じがします。というより、こちらの演奏の方が先なので、昔からカラヤンの解釈はしっかりと固まっていたということでしょう。冒頭はゆったり、2楽章もゆったり、しかし、3楽章はちょっとスピーディーな演奏です。CDのデータ上では、フェラスの3楽章が9分13秒、ムターの3楽章が10分9秒とだいぶ開きがありますね。この楽章の違いはソリストの違いもあるでしょうが、楽団の違いも影響しているかもしれませんね。フェラスとは1965年にベルリン・フィルと録音しています。この時期のベルリン・フィルとは一番血気盛んな演奏をしていたのではないでしょうか。1楽章は抑えに抑え、2楽章はいつものカラヤンレガートでたっぷりと、そして3楽章でパワー爆発といった感じでしょうか。一方、ムターとの演奏はウィーン・フィルウィーン・フィルはもちろんとてもうまい楽団ですが、超絶技巧を披露するというよりはいい音色をたっぷりとという思いがカラヤンにもあったのではないでしょうか。さらに、最晩年のカラヤンは若干テンポが落ちているケースが見受けられました。そのせいもあるかもしれませんね。

では、ムターが無理にカラヤンの遅いテンポに合わせていたのかというと、そうでもないんです。彼女がカラヤンとの録音の15年後に同じウィーン・フィルと録音したスタンスはそう違っていないように聴こえます。この指揮を担当したのは当時結婚をしていたアンドレ・プレヴィンです。そのCDがこちら。 

                

冒頭はカラヤンほど遅くはありませんが、ゆったり目の演奏です。ムターがカラヤン盤よりもやや速く弾く箇所があったり、間のとり方を変えたり、カデンツァを変えている関係で、50秒ほど速いですが、昔よりも速くなった!という印象は受けませんでした。むしろ、カラヤンの意思を引き継いで、成長した自分のスタイルを加えた感じです。それを旦那のプレヴィンが絶妙にサポートしていますね。

3楽章は9分31秒なので、フェラスとムターの旧盤の間のテンポです。ほどよいテンポだと思います。3楽章に関しては、私はこの演奏がしっくりきますね。

ムターが還暦を迎えた際に、やはりウィーン・フィルムーティの組み合わせでこの協奏曲を演奏していましたが、その時のテンポも同じようにゆったり目でした。ムーティカラヤンを尊敬していたので、カラヤンがかつて演奏したムターとウィーン・フィルで同じようなテンポで演奏しようと考えたかもしれませんね。この演奏もとてもよかったですよ。

今回は、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を取り上げてみましたが、改めて聴いて、やはりスケールの大きないい曲だなぁと思いました。

最後に一つ疑問があるんです。裄野 條さんがお書きになった「カラヤン幻想」という本の中に面白い解釈が出ているのですが、カラヤンが有名なヴァイオリン協奏曲をムターと録音していくプロジェクトにおいて、なぜ、このチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲 だけはベルリン・フィルではなく、ウィーン・フィルだったのか。ということです。ベートーヴェンブラームスメンデルスゾーンモーツァルトブルッフといった協奏曲はすべてベルリン・フィルと録音しています。ベートーヴェンの協奏曲はデジタル録音ではありませんが、その代わりなのかはわかりませんが、カラヤンの遺産シリーズでDVDやブルーレイで80年代に撮り直していますね。しかし、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は1985年の演奏会までムターと一度も演奏していないんです。一時期、「カラヤンに、自分のもとから離れて仕事をした方がいいと言われた」とムターがインタビューの中で述べていたことがありました。色々な意味で、カラヤンはムターを突き放したのだとは思いますが、自分との解釈の違いが生じてきて、お互いちょっと距離をとった方がいいと感じた結果、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲をベルリン・フィルと演奏する機会がなくなってしまったのか、はたまた、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲に関してはムターとの解釈が全く折り合いがつかないので手をつけなかったか‥‥。もし、ムターの解釈と折り合いがつけられないということであれば、このライヴ録音の演奏は、カラヤンの好みのテンポやニュアンスではないということになりますが、過去の演奏と比較するとそんなことはなさそうな気もしますね。

個人的には、もともとベルリン・フィルとの演奏会でも取り上げていなかった曲なので、カラヤン自身が好きではない曲、あるいは嫌な思い出があり、やりたくなくなってしまった曲なのではないかと考えています。この曲にベルリン・フィルの音色があわないはずもなく、問題は外にあるのではなく、カラヤン自身にあったのではないでしょうか。聴く機会があったら(あるわけないのですが‥‥)聴いてみたい謎のひとつです。

とりとめもない思いを語ってしまいました。