karajanjanの日記

カラヤンについて語りましょう

吹奏楽の甲子園

 暑い日が続きますが、皆さんは元気にお過ごしでしょうか?

 テレビでは高校生球児が甲子園で熱戦を繰り広げていますね。

 一方、この時期、中学校・高校の吹奏楽部はと言いますと、「吹奏楽の甲子園」と言われる吹奏楽コンクールの真っ最中です。生徒たちはこのコンクールで日頃の練習の成果を発揮し、”GOLD金賞”目指して毎日血の滲むような努力を重ねています。いつ寝ているのか分からないくらい朝から晩まで練習をしている学校もあります。もしかすると運動部よりも練習時間が長いかもしれませんね。

 さて、この吹奏楽コンクールですが、当然コンクールなので賞を目指して頑張るわけです。私も今までに色々なコンクール出場バンドの指導をしてきました。自分で指揮をして金賞を頂いたこともありますが、指導するたびに「この賞をとらせるための指導は正しいのだろうか?」と悩んでいます。なぜ悩むのかというと、「本当に音楽をやらせているのか?」と思ってしまうからです。

 コンクールに出るバンドは2つの考え方を持っていると思います。1つは「コンクールに出ることに意義がある。賞は二の次」という考え方。2つ目は「コンクールに出るからには金賞をとる!」という考え方です。どちらも間違いではないと思います。

 1つ目の考えの多くはコンクールに初めての出場、または人数や編成が揃わないがなんとかコンクールには出たいというバンドの考え方だと思います。こういうバンドも数年コンクールに出場すると、2つ目の考え方に変わっていくのではないかと思います。一生懸命に取り組めばうまくなりたい。うまくなればそれを人に聞いてもらって、評価してもらいたいと思うでしょう。これは吹奏楽に限ったことではないと思います。ですが、この「評価してもらいたい」の部分だけがクローズアップされてしまい、「金賞を取らないと意味がない」という流れになってしまっているのが昨今の吹奏楽事情のような気がします。

 「納得のいく演奏をして金賞を取る」これができれば言うことはないのですが、「金賞を取る」ためには実はかなり非音楽的なことをしているのが実際のところです。例えば、金賞を取るためには音程がきちんとあっていることが大切なのですが、その音程を合わせるために「この音は低く吹け」「この音は少し高く吹け」という指示が飛びます。その指示を聞くと、生徒たちは楽譜に矢印で↓や↑と書き込んで、その矢印を見ると反射的に音程を変えるようになるのです。本当に音楽的に完成されているバンドは、どうしてその音を低く吹いたり、高く吹かなければいけないのか分かって吹くのでそんな記号とは関係なく音楽としてその音程をとって吹いてくれるのですが、多くのバンドは「低くしろと言われたから」と言って、本当の意味を理解せずに吹いているケースがほとんどです。生きている音ではなく、ただ音程を置きにいっている音でしかないんです。でも、楽しそうに、自分の思いえがくように吹いて、音程が悪ければ、演奏後の審査委員の講評に「音程が悪い」と書かれて、金賞から遠ざかってしまします。そこで私も仕方なく「分からない人も、この音は低く吹くようにしてください」と指示を出してしまいます。

 また、プロと違い、全員が全員きちんと吹けるわけではないので、苦手な音、綺麗に鳴らない音、きちんと吹けないフレーズがあった場合は、その部分を吹かせずに、吹ける生徒に吹かせて、あたかも全員きちんと吹けているかのように仕上げてしまいます。聴衆にとってはそれでいいかもしれませんが、音楽的には切り貼り作業をしているわけです。本当は一人の奏者にきちんと1つのメロディーやフレーズを音楽的に吹いてもらいたいと思います。しかし、うまく吹けなければやはり賞から遠ざかる。仕方なくこの作業を行うことになります。一人の生徒から1つフレーズを奪ってしまうのはなんとも心苦しい限りです。表面的にはいい音楽が鳴っていますが、「個々が納得して、皆で音楽をしている」ことにはなっていない気がします。

 他にも吹奏楽業界では当たり前に行われていることが、本当は生徒たちから音楽をする楽しみの一部分を奪ってしまっているのではないかと、この時期のなるといつも悩んでいます。

 方や、練習の中で少し嫌な思いをした生徒も、金賞を仲間と一緒に取れることは何ごとにも代えがたい思い出になるという話も聞きます。私も実際に教えた生徒からそのように言われたこともありました。自分のできる限りの部分を提供しあって一つの音楽を作ることも決して間違いとは言えないのでしょう。でも、理想は賞のために練習し、コンクールに出るのではなく、本当に納得のいく音楽を皆で作り上げることなんだと思います。(皆さんも本当はそうあるべきだとわかってやっているのはよく知っていますよ)

 音楽って難しいですね♫