karajanjanの日記

カラヤンについて語りましょう

指揮棒を使うか否か?

カラヤンはどんな曲だと指揮棒を使わない?

 指揮者といえば指揮棒をよく使いますが、最近の指揮者の方は意外に指揮棒を使わず、素手で振る人が多いような気がします。小澤征爾さんも昔は棒を持っていましたが、いつぞや持たずに指揮するようになりましたね。ヘルベルト・ブロムシュテットさんも最近は持っていません。

 別に指揮棒を持つ、持たないに正解はないのでそれについて是非を論じる気はありません。今回、綴ってみたいのは、マエストロ・カラヤンがどんな曲では棒を持たないのかということです。私も指揮をしますが(アマチュアですが)、曲によって指揮棒を使ったり、使わなかったりします。穏やかなゆったりした曲は持たずに、宗教曲系もやはり持たずに指揮をしています。合唱団の指揮の際も持たないですね。

 では、本題。カラヤンはというと、若かりし頃は比較的長めの指揮棒をほとんどの曲で持っていたようです。その後、指揮棒も次第に短めで比較的太目のものを使うようになっていきます。ところが、次第に宗教曲は指揮棒を持たずに指揮をするようになっています。(写真集で、若い時にレクイエムを指揮する際は棒を持ったことが確認できます)カラヤンの映像作品では、モーツァルトベートーヴェンブラームスヴェルディ、などのミサ曲は素手で振っています。バロックに関しては、自分でチェンバロを弾きながら指揮をしているので、ヴィヴァルディの四季、バッハのマニフィカトも棒は持っていません。弾き振りでない時はどうだったかはちょっとわかりません。残念ながら、私はマエストロの実演に触れたことがないので、確かめようがありません。演奏会に実際いかれて、ご存じの方がいらっしゃれば、教えて頂きたいと思います。

 他のジャンルの曲ではどうかというと、R・シュトラウスメタモルフォーゼンは指揮棒を持っていません。この曲は弦楽合奏です。では、弦楽合奏は棒を持たないかというと、そうでもないんです。シェーンベルク浄夜は持って指揮しているんです。また、弦楽合奏ではないのですが、モーツァルトのディベルティメントの15番と17番。それぞれ弦楽合奏にホルンが加わりますが、これも棒を持って指揮しています。

 逆に、完全に指揮棒を使いそうなのに、使っていない曲が2曲ありました。1つ目が、ラヴェルボレロです。1985年のジルベスターコンサートのDVDでは、他の曲では棒を持っていたのに、この曲だけは持たずに指揮をしています。ただ、ボレロを振るときにいつも持たないかどうかはわかりません。このコンサートの時だけかもしれませんね。

    

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 もう1曲、それはなんとストラヴィンスキー春の祭典です。ただし、これはドキュメンタリーDVD「KARAJAN The Second Life 」の中の春の祭典のレコーディングシーンの話です。激しい部分ですが、棒なしで指揮をしています。果たして、演奏会本場でも春の祭典は棒を使っていなかったのでしょうか?         

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 あとは想像になりますが、ハイドン天地創造、四季なども棒は持っていなかったのではないでしょうか。モーツァルトのアイネクライネ・ナハトムジークやチャイコフスキーの弦楽セレナーデはどうだったのでしょう?R・シュトラウスの4つの最後の歌なども興味があるところです。

 とりとめのない内容になりましたが、(当然と言えば当然ですが)棒を使う、使わなの絶対的な線引きはないようですね。その曲の持つイメージ、出したい音など、様々な観点から決めていたのでしょう。いや、考えずとも、カラヤンの手が勝手に指揮棒を握ったり、握らなかったりしていたのかもしれませんね。また、情報が手に入りましたら、記事にしたいと思います。もし、生の演奏会を体験された方で、棒を使っていた、使っていないをご存じでしたら、コメントを頂けるとありがたいです。よろしくお願いします。