karajanjanの日記

カラヤンについて語りましょう

ピリオド奏法を考え直してみました♪

ピリオド奏法はお好きですか?

 率直に言うと、私はピリオド奏法は好きではありません。(厳密に言うと、「好きではありませんでした」かな?)また、古楽器による演奏も好みではありません。全くとは言いませんが、ほとんどそういったスタイルの演奏は聴いていないと思います。一時ほど古楽器奏法は盛り上がってはいませんが、今でも古楽器による演奏、ピリオド奏法の話題はそれなりに出ていると思います。

 

 もともと私がクラシック音楽を好きになった時は、トスカニーニワルターフルトヴェングラーベームは亡くなっていましたが、カラヤンバーンスタインがクラシック界を牽引していて、CDもはやっていた時です。クライバーも人気になっていました。この時代の演奏と言えば、モダンオーケストラとでも言いましょうか、皆さんが普通に目にしている楽器で演奏されていました。ここに挙げた有名な指揮者でなくとも、ウィーン・フィルベルリン・フィルをはじめとして、日本のオーケストラでも、演奏されるモーツァルトベートーヴェンは決して小編成ではなかったと思います。ところが、ピリオド奏法が注目を集めると、オリジナルを追求しようとする流れが全世界的に広まったように思います。オーケストラだけではなく、ピアノも当時のハンマークラビア的な当時のピアノを再現して演奏する傾向にあったように思います。

 私はピリオド奏法や古楽器ブームになった時、「オリジナルを研究することは間違っていない。しかし、多くの演奏者、指揮者、オーケストラがそれぞれの分野で研究を重ね、今のスタイルを確立した。もともと今のような楽器の性能があれば昔の作曲家は今演奏しているようなスタイルを望んだだろうから、無理に機能が劣る楽器で演奏する必要はあまりないのではないか?」と思っていました。極端な例になるかもしれませんが、パソコンがあるのにわざわざワープロを買ったり、電卓があるのにそろばんを使うようなものかもしれません。

 ピリオド奏法に抵抗感を覚える人はこれに似た感情があるのではないかと思います。私の尊敬するカラヤンもピリオド奏法とは正反対に位置する指揮者だったと思います。ヴィヴァルディでもバッハでも大編成でゴージャスな演奏を繰り広げていて、これが批判の的にもなりましたね。カラヤンベルリン・フィルバロックバロックではないとまで言われていたように記憶しています。カラヤンはやはり彼なりの美学があり、古楽器やピリオド奏法を決して美しいとしなかったのでしょう。ピリオド奏法が正しい、正しくないという考えではなく、モダンオーケストラを「美」とする美的センスからすると、古楽器奏法は「美」とは捉えられなかったのでしょう。私もある程度共感できます。

 しかし、最近、音楽談義をしていて、ある人からこんな指摘をされました。

 音楽談義とは、オペラについてです。私は「最近のオペラの演出に違和感を覚える。特に時代設定をどうして勝手に変えてしまうのか?フィガロの結婚の登場人物がどうしてスーツで出てくるの?タンホイザーでどうしてアタッシュケースを持っているの?台本通りの時代設定でやるべきじゃないか?」というような見解を述べたのを記憶しています。

 この私の見解に対し、「あなたはオペラは時代設定通りにすべきと言ったよね。それなのに、どうしてオーケストラの古楽器奏法やピリオド奏法は否定するの?バロック音楽モーツァルトベートーヴェンの時代のオーケストラやピアノは現代のような性能の楽器ではないはず。なのにオーケストラの曲はモダンスタイルでないと受け入れないのは矛盾してない?だったら、昔は着物やドレスだった衣服がスーツや洋服になることは私たちの生活を考えたら当然の事でしょ?オペラの時代設定が現代的なことに何か問題はあるの?」と優しく諭してくれました。

 「・・・。(納得)」言葉が出ませんでした。確かにそうですよね。都合のいい部分だけ昔にかえり、他の都合のいい部分だけ現代にしておきたい。ある意味、これが私の美的センスと言いますか、価値観なのでしょう。この私の価値観に対しさらにある人は、「でも、その考えはそれでいいと思うよ。」と。有難い言葉です。よく考えれば、自分でも「CDよりレコードの方がいい音がするかも」。時が経つと、「配信の音楽では音の質が味わえないと思うからデータ配信ではなく、CDを媒体として持っていたい」と言ったりしています。また、新しいものではなく、レトロ感を味わいたい物も世の中には多々ありますよね。人はどこかでアナログ的な原点に返りたいと思う気持ちがあるのだと思います。

 したがって、ピリオド奏法は自分が聴く聴かないは別として、拒絶するのは止めようと思います。原点に立ち返る行動は当然として受け止めたいと思います。ピリオド奏法を好む人がいることも、それを受け入れない人がいることも両方ともありなんですよね。日本で現代文だけでなく、古文が大切というのもこういった価値観があるからこそですね。そもそも芸術はあらゆる解釈があるわけですから。

 

 最後に、カラヤンの話を少し。先程、カラヤンはピリオド奏法とは正反対に位置すると書きました。(このことはムーティも雑誌のインタビューで語っています。)最後までモダン演奏にこだわったカラヤンですが、実は2度目のブランデンブルク協奏曲の録音では、小編成にして演奏するなど、ピリオド奏法とまではいかないまでも、古楽器のオリジナル編成に歩み寄る編成での録音に挑戦したようです。この編成での演奏の評価が高いかはまた別の話なのですが、カラヤンなりにピリオド奏法の意義を考えての事だったのではないでしょうか。

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